『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

子供達は家来じゃない

若い頃、清掃の時間、子供達に「カーペット掃除」をさせている先輩を見ました。
その先輩は、子供達に掃除機を使わせていました。掃除機の使い方を説明し、注意点を伝え、後は子供達にお任せ。
ゴミはどんどん吸い取られ、きれいになっていきます。その学校は構造上、どうしても砂が校舎内に入り込んでしまう造りだったのですが、カーペットの中に入り込んだ砂もきれいになっていました。その学級の子供達は、次々にカーペットを掃除し、次の日には違う場所の掃除をしていました。
若い頃から先輩のそういう「伝えて任せる」指導を見てきたので、私は『学び合い』へと移行しやすかったのだと思います。


別の年に、同じ場所で別の先輩が子供達に掃除をさせていました。その先輩は「ガムテープ」を使わせていました。ガムテープにカーペットのゴミをくっつけて取らせていたのです。時間をかけてゆっくり丁寧に、一生懸命やっていました。二人の子が1日かけて、一枚のカーペットを掃除していました。次の日も、次の日も、床に伏して掃除をしていました。頑張っていたのですが、綿ぼこりはきれいになっても、砂は取れません。私は、
「掃除機を使うかい?」
と聞きました。でも、その二人は
「使いません。」
と答えました。そして、続けました。
「先生から、ガムテープで取るように言われています。」
若かった私は、その先輩に聞きました。
「学校に掃除機がありますよ。子供達に使わせていいですか?」
けれど、その先輩の返事は
「使わせなくて、大丈夫。」
でした。


寒くて冷たい学校の床に座り込んで、一生懸命にガムテープで掃除をするその子達は、何も悪くありません。むしろ「頑張っているとっても良い子」にも見えます。
でもなあ、と感じました。
教育ってこういうことなのかなあ、と考えました。
そして、「何が大丈夫なのかなあ」と考えていました。

「子供達は、教員の家来じゃないよなあ。」

 

若い頃から、こういう違和感をたくさん抱えながら仕事をしていました。
この歳になって、やっとそれを言葉にできるようになってきました。が、まだまだ大きな声で異を唱えられる立場にはなっていません。