『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

理想の学級経営

私は、『学び合い』とは学級を民主主義で経営することだと考えています。ただ、残念ながら私の学級もまだまだ実現できていません。啓蒙君主的な面が残っています。

 

課題はたくさんありますが、私の学級をもっと民主的にするには「評価」をどうするかが肝だと思っています。今の評価は、私の主観というか影響力が強過ぎますから。

私が子供たちを評価するなら、子供たちも私を評価できる状態にしたいのです。中途半端な評価ではなく、ちゃんと責任を持って児童や保護者が評価する。「この担任の評価なら受け入れましょう」という意思表示。西川先生が度々おっしゃっているような「児童生徒が教員や学校を選ぶ」という制度はとても良いなあと思っています。ただ、そうなったら教員が学校を選べないと納得はいきませんけれど。それがないと、我々がただのサンドバッグになっちゃう。

となると、話は「学級経営」のレベルに留まらないので、今すぐ実現は難しそうです。

 

じゃあ他には?

「子供たちが主体」という私の基本スタンスからすると「子供たちが相互評価をする」という案が浮かびます。これも、評価するなら子供たちが責任を持って評価して欲しいのです。通知表とか要録とかも子供たちが作る。

今の教室でも「子供たちが自己評価をする」「子供たちが相互評価をする」という場面は多々ありますよね。でも、それは教員による評価や評定の参考にはしても、子供たちの評価が最終決定にはならないでしょう。極端な例を言えば、ある学習に対して教員が「C」と判断し、子供たちが「A」と判断したら、皆さんはどうなさいますか?私は「子供たちがAと言うから、Aにするか」とはなかなかできないなあ。と言うのは、子供たちは、自己評価や相互評価に責任を負っていないから。教員が評価をする時には、もし保護者さんから「なぜウチの子がCなんですか?」と聞かれたら答えられなければいけませんよね。答えられないなら、責任を問われます。

同じように、子供たちが責任を持って評価するシステムにしたいのです。怒られるかもしれませんが、私は「一人の教員が負っている程度の責任は、学級の子供たちが十二分に果たせる」と思っています。そのための方策もいつくか浮かんでいます。

 

けれど、現実問題として、子供たちに通知表を作成させ、それを「正式なもの」とするには、周囲との折り合いが難しいですねえ。。。こういうことを許してくれる学校に行って、こういう担任を選んでくれる子供たちと保護者だけで学級編成できればいいんですが。となると最初の話に戻りますね。

やっぱり話は「学級経営」だけの話じゃなくなってしまいます。