教員になったばかりの時には、「自分が“正解”を知らないだけで、他の先生方は皆、“正しい指導”をなさっているんだ。早く自分もできるようにならくてはいけない」と、感じていました。でも、しばらく経って「どこにも“正解”なんてないんだな」と考えるようになりました。少しがっかりしたし、何だか「騙されたような気分」も20代の時には感じていました。
今では「正解がないから、楽しい」と思いながら仕事をしています。だから、私の授業は毎年変化し続けています。昨年度担任していた学級での授業と今年度の授業は、全くの別物です。
でも同時に「本当は、正解があって欲しい」とも願っています。
あるのなら、見てみたい。例えそれが、私には実現できないものであっても。