『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「みんなができる」と「みんな一緒」

特に理由は無いのですが、何となーく気になったので、書いておきます。

『学び合い』の「みんなができる」は「みんな一緒」と同じことだ、そう勘違いする方がいるかもしれません。いたら嫌だな。真逆なんです。

 

「みんなができる」ためには、「みんな一緒」ではいけません。

例えば、算数の「分数の足し算、引き算」の学習を『学び合い』でやったら。足し算が数問で分かる子もいれば、なかなか分からない子もいます。中にはもう既に家や塾で勉強して、分かっている子もいます。そういう子は先に進みます。そうでない子は自分のペースで進めばいいのです。必然的に、足し算をやっている子もいれば、引き算をやっている子もいる状況になります。次の単元、その次の単元とどんどん進む子もでてきます。

このように、『学び合い』で「みんなができる」を追求すると、バラバラになっていくのです。「みんな一緒」なんて無理。「みんなができる」のためには、多様性が不可欠です。

 

ただし、『学び合い』を始めて直ぐには、この状況は成り立ちません。これが可能になるためには、

  1. それぞれが自分のペースで進める安心感と自立心
  2. その勉強が好きで勝手にどんどん学ぶトップランナーグループの頑張り
  3. トップランナーを焦らせる後続グループの台頭
  4. 全ての子が緩やかに繋がる関係性

が必要です。

これらが醸成されるまでには、時間がかかりますから、それまでの間は一見、「みんな一緒」にやっているように見えるかもしれません。けれどそれは、『学び合い』のスタート段階です。多分、今までの経験から、子供たちも「そうするもの」と囚われているんでしょうね。みんな一緒の方が安心。違うことなんてやっていいの!?そう思っている子が多数派。そこから抜け出せるには、どれくらいの時間が掛かるのかは、多分、その子達の今までの経験によるのでしょうね。

私は6年生担任が多いので、過去の経験の積み重ねがもたらすある種の呪縛を感じたことは何度もあります。同時に、中学校、高校で『学び合い』をやる難しさも想像してしまいます。

 

私は「一人も見捨てない」を実現するためにも、“「みんな一緒」じゃなくていい”という考え方がもっと広がって欲しいと願っています。より多くの子が救われるためにも、我が子が救われるためにも。