『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「先生に言っても・・・」と理解してもらうしかない。

学校には「どうすべきかは、先生が決めるべきだ」という価値観があるように思います。教員も児童も、そう思っている人が少なくありません。


例えば、
「先生、お腹が痛いです」
と言って来る子。私はそういう時に
「それは大変だね。どうしたい?」
と聞くのですが、その返事は千差万別です。
子供たちの中には「トイレに行きます」とか「保健室に行っていいですか?」と言える子もいます。そういう時には「分かりました」と返します。が、中には、
「え!?」
と絶句してしまう子も少なくありません。
意地悪する意図はないので、一応は
「保健室に行くのか、トイレに行くのか、それとも他のことをするのか。どうしたい?」
なんて助け舟を出します。たいていの子は、何らかの答えを見つけられます。けれど、どうしても決められない子もいます。お腹が痛いのにあまり引っ張るわけにはいきません。そういう場合には、にっこり笑って
「じゃあ、○○しようか?」
と提案してあげます。本当は自分で決めて欲しいんですけれど、そうはいかない子もいるのは仕方ありません。だって、「どうするかは先生が決めるべき」という価値観は、長い時間をかけて育まれたものなんですから、簡単に崩せる子もいれば、なかなか崩せない子もいるでしょう。そして、「先生に決めて欲しい」と願っている子もいるんですから。低学年の子供たちの中には「先生は絶対だ」という思いもあるのでしょう。
「先生に治して欲しい」
と言った強者もいたくらいです。

 

でも、この時期になると私のクラスの子供たちは
「先生に言っても決めてもらえない」
と徐々に理解してくれてます。「先生、○○させてください」「○○したいです」という言い方が増えてきます。
ただ、難しいのは、私自身が「先生が決めない」というスタンスを守り通せないのです。私自身も「教員が決めるものだ」という価値観の中に生きてきましたから。