以前、ある授業で見た光景です。3年生のリコーダーの授業でした。
授業者さんは、3通りの吹き方を示しました。
最初は、強く息を吹き入れて「ピヒャー!!」と音が割れる吹き方。
次は、息が弱すぎて「ヒョロロー」とか細い吹き方。
最後に、見事なタンギングの美しい音色を響かせる吹き方。
その後、こう聞きました。
「3つの吹き方で、どれが一番キレイだと思いましたか。」
そして、挙手を促しました。
「一番目の吹き方だと思った人?」 数名ですが手が挙がりました。
「二番目の吹き方だと思った人?」 また、ちょっとだけ手が挙がりました。
「最後の吹き方だと思った人?」 ほとんどの手が挙がりました。
「そうですね、最後の吹き方が一番キレイですね。」
多くの方にはとって、なんてことない場面だったかもしれません。むしろ「上手い流れ」と言えるかも。ほとんどの子が正解し、そして、答えを聞いて他の子も「最後の吹き方が一番キレイなのだ」と知ることができた、そういう場面だと言うこともできるでしょう。
でも、私は「ぐぬぬ」と苦しんでいました。私には「明らかに強過ぎる」「どう考えても弱過ぎる」と感じる吹き方を「キレイ」と感じる子がいるのですよね。そこに手を挙げた子達がふざけているようには全く見えませんでしたから。
ああ、やっぱり子供たちの感じ方って多様なのだな。私はその多様性に対応できているだろうか。そう考えていたら、苦しくなってきたのです。
結論は分かっています。
私一人で、子供たちの多様性に対応することは不可能。だから、多様性に対応できる子供集団を育てるしかない。
それは分かっているのですが、でも、これも簡単なことではありません。
分かっているからと言って、直ぐにできるってわけじゃありません。