『学び合い』を実践していると、集団のメンバーが多様性に富んでいることが、いかに大切かを実感します。
並みのトラブルなら同質性の高いメンバーで何とか対処できます。教員一人でも何とかなる場合もあるでしょう。でも、ちょっと大変なトラブルが起きた時には、一人では無理だし、子供たちも「全員が困ったまま」になってしまいがち。(仲良しグループだけに対応させようとすると、そうなりますよね。)
でも、多様な集団なら「おお!ここで君が活躍するのか!!」という意外なヒーローが現れる可能性が高まります。実際に、『学び合い』の学級では、そういう場面が頻繁に存在しているでしょう。
私は、学級が多様であることは、ある程度は喜ぶことができています。(ある程度、というのは、『学び合い』が浸透するまでは、多様であることが、マイナスになる場面もあると感じるからです。まあ、学級づくりの最初の時期だけですね。)
でも。
職員室の多様は、どれくらい認められているでしょうか。世の中については、どうでしょうか。
学級ほどは、多様性に寛容になれてないなあ、というのが本音です。
人は多種多様であることを前提に、世の中を見られるようにならなければね。