『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

力技と虚しさとストレス

昨日は、今シーズン初の水泳の授業でした。

 

私一人で授業ができるなら、水泳も「はい、どうぞ」としたいのですが、実際はなかなかそうはいきません。

水が苦手な子が数名いるのですが、その子達が「今年は楽しく水泳の学習ができそう」というイメージを持てるよう、かなりの力技を使いました。

具体的に言うと、全員で蹴伸びをする時には、潜れない子数人を私の腕と肩につかまらせ、引っ張ってあげました。ちょっと泳いでみよう、という時間にも数人を引っ張りながら、「バタ足頑張れ〜」と声をかけました。一度に全員は無理ですから、何度も何度もプールを往復しました。私にとっても、よい運動になったのでしょうか。今日は腰痛が緩和されています。が、別のところが痛いです。

 

かなりヘトヘトになるまで頑張りましたが、その中で感じたことは次の2点です。

一つは、こういった教員の頑張りだけでは、全ての子を救えないということです。別の練習をさせてあげたいとも感じます。でも、数十人を指導し、安全確保も行わなければならない状況では、なかなかそうはいきません。水泳の授業は「コース分け」を行うのが普通でしょう。でも、数十人をたった3つや4つのグループに分類しても、全ての子にピッタリな練習メニューとはなりませんよね。

もう一つは、こういう頑張りは、ずっとは続けられないのだ、ということです。いつか私のエネルギーが切れます。そう遠くない時期に。

 

多分、私が積極的に関われた子供たちはそこそこ楽しんでくれたことでしょう。その分、他の子達の指導は、学年の先生にお任せになってしまいました。そこもモヤモヤします。

 

 『学び合い』は考え方だと言われます。方法は色々とあってよい。

でも、本当に『学び合い』の考え方に立っていると、私が昨日やったような指導に虚しさを感じます。分かっているのにやれない自分に、地味にストレスを感じます。