授業に対する「手立て」と言う時、「子供達を育てるための手立て」と「授業をうまく取り繕うための手立て」があるように思います。授業とは本来、45分をキレイに見せることが目的ではないはずなのにね。
今年の私はぶれていて、子供達を育てようという意識は忘れてはいないつもりですが、一方で「見られてもよい状態」を作ろうと急いで、授業を取り繕う意識がチラチラしている。というのが本音の自己評価。それが、一部の子供を苦しめてしまっているのも分かっています。
そう言えば、前任校に転勤した年も同じような失敗をしていました。今年もその時と同じように、いや、それ以上に「転勤直後」のプレッシャーを勝手に自分に課しているのも自覚しています。
最近は自己嫌悪が止まりません。
土曜日の仙南の会で、リセットできるといいのですが。