『学び合い』で生きる。
なんてことを書くと、ものすごく難しく取られてしまうかもしれません。
そう言えば、先日の『学び合い』仙南の会で「なぜだか分からないけれど、『学び合い』をものすごく高尚なものだと思っている方がいるらしい」という話題がでました。そんなわけありません。『学び合い』は人間の本能に基づく理論ですから、高尚どころか人間臭い生々しいものです。
『学び合い』で生きるとは、ものすごく単純に言えば、
- より多くの人と繋がって生きる。
ということです。繋がりは多ければ多いほどいい。出不精な私ですが、実際にお会いするまでは「怖そうだな」と思っていた方に会ってみたら愛と思い遣りに溢れた方だった、なんて経験もあります。
また、苦手な人とも「上手に」繋がればいいと思っています。苦手な人がいたら、共通の知人を通じて間接的に繋がっていれば良いです。むしろ、間に入ってくれる人を積極的に探します。また、折り合いがついていない関係性を見つけたら、勇気を持って飛び込んでみたり。
そういうことを無理のない範囲でやっていく。それが、『学び合い』で生きる、ということだと私は考えています。「無理のない範囲」って大切ですよね。