『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

馬鹿

私は、ある時を境に覚悟を決めました。

検索をすると、私のことを「『学び合い』のトップランナー」とか「小学校における『学び合い』の最高水準の実践者」なんて大袈裟なことを書いているネット上の記事が見つかります。以前は、こういうのが本当に苦しく、はっきり言えば嫌でした。

「一人で勝手にやっているだけなんだから、やめてくれよー。放っておいてくれよー」

と願っていました。まあ、逃げですね。こういうことを書かれて、注目されたり責任を感じたりするのが面倒くさかったのです。基本的に小心者なんです。

「私は自分のやりたい実践をやっているだけです。別に『学び合い』にこだわっていません」

と言って逃げようかと思ったこともあります。

が、逃げない覚悟を決めたのです。

『学び合い』が広まっていくには、『学び合い』という記号が必要な場面があるでしょう。「高橋尚幸の個人的な実践」というだけでは、誰もやろうとしてくれませんもの。「高橋?誰それ?」で終わりです。そもそも、私が今の実践に辿り着いたのも、今よりも風当たりが強かった中で、『学び合い』の看板を掲げて発信してくれていた先達のおかげなんです。そして、このブログを読んでくださっている方の多くは、『学び合い』という記号を元にここに辿り着いてくださったことでしょう。だから、『学び合い』という記号が必要なんですよ。私は恩送りとして、『学び合い』という言葉を使い続けます。

 

『学び合い』という言葉を使わずに飄々とやっている方が楽です。余計なトラブルも起きません。現に、使わない時もあります。例えば、私は来月、ちょっと大きい公的な研修会で授業提供をしますが、その指導案では『学び合い』という言葉は一切使っていません。職場でも『学び合い』という言葉は使いません。私の授業を直に見てもらえるのならば、『学び合い』という記号がなくても、「高橋の実践」「高橋の授業」に興味を持ってもらえれば、影響を与えられますからね。

SNS等のネット上でも、『学び合い』という言葉を使わない方が利口な発信方法かもしれません。変な形容をされる心配もありませんから、私も気楽です。

それでも、『学び合い』という言葉を使います。馬鹿かもしれませんが、でも、そういう馬鹿がいないと広まらないでしょう。

「別に『学び合い』を広めなくてもいいじゃないか」

と思うこともあります。が、それは私には卑怯に感じられます。自分が知ったから、あとの人は知らなくていい、とは言えません。私が『学び合い』を広めたいのは、1番は自分が実践しやすくするためですが、もう1つは、私のように『学び合い』の理論で救われる教員と子どもたちがいると確信しているからです。

広めようとする「マイナス」も分かっているつもりです。でも、覚悟を決めたのです。自分が「楽」になることばかりを考えるのではなく、『学び合い』で救われる人々を増やすために、ちょっと面倒くさいことをやるのです。

 

とここに書くのは、覚悟が揺れそうになった時なのです。書いたからには逃げません。