以前、ある方から
「ほとんどの教員にとって、『学び合い』と◯◯の区別なんてつかないんだよ。そんな些細なことにこだわってどうする!」
と指摘を受けたことがある。その瞬間は、心底驚いた。
『学び合い』と◯◯。全く違うものじゃないか!『学び合い』は理論で、◯◯は技術。
この二つの区別がつかないなんてあり得ない!
そんな風に感じた。
けれど、今になってよく分かる。『学び合い』は考え方だ!授業理論だ!いや、集団経営理論だ!在り方だ!生き方だ!と鼻息荒く叫んでも、ほとんどの方には、そんなのどうでもいいこと。少しでも良い授業をしたい、今の状況を変えたい、そう願っている方にとっては、理論か技術かなんて、考えている暇はない。そして、『学び合い』が広まるには、私のような人間はむしろ邪魔なのだろう。その証拠に「私は『学び合い』の授業に◯◯を取り入れています」という方を時々見る。あの方がおっしゃっていたとおり。「あり得ない!」なんて息巻いていた私が間違っていたのだ。
それでも、私は私のままでいることしかできない。その「些細な違い」が引っかかってしまう。異なるモノを混ぜてみようと思えば思うほど、混ぜられない自分を思い知るのである。
一方で、混ぜる人を見てもイライラしなくなった。そこは素直に嬉しい。色んな人がいた方がいいのだ。だって、子どもは教員以上に多様なんだから。