私には意地悪な面があって、「子どもたちが“簡単”に答えを導き出して欲しくない」と考えてしまいがちだった。迷うことに意味がある、悩むことに意義がある、そんな風に思ってもいた。
が、それは間違いだったと思う。簡単に分かる問題ばかりじゃつまらないだろう。でも、簡単に分かる問題なら、さっさと答えを出してしまう方がいい。そして、残りの時間を有効に使う方がいい。
「何時間勉強した」とか「何時間仕事をした」とか、かけた時間に価値を置き過ぎると、無駄な時間が増えてしまうのかもしれない。「時は金なり」というが、時間も金銭も、それ自体に価値があるわけではないだろう。それをどう使うかが重要じゃなかろうか。同じ成果を出すのなら、時間は短い方がいいな。
先日、
「先生、本当に教科書見ちゃってもいいんですか?答え、載ってますけど…」
と質問を受けた。私の答えは
「もちろん、いいですよ。答えが分かっている人なんてたくさんいるでしょう?大切なのは、答えが分かることじゃないからね」
それに続いて、その子は
「答えが分かるじゃなくて、理由が分かって、説明できること」
と続けてくれた。授業中、賢くて優しい子どもたちは「答えが分からないふり」をしてくれる。そんな無駄なことはしなくていいのに。