『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

頑張れ!の話

かなり前に聞いた話で、ソース不明だ。とお断りした上で書く。

 

人は自分自身が発している言葉の影響を大きく受ける、という話を聞いたことがある。人を罵る言葉を発していると、発している本人がもっとも近くでその言葉を聞いていることになる。だから、人を罵った本人は、言われた人以上にネガティブな感情を抱く。逆に「頑張れ」という言葉も、発している本人がもっとも近くでその言葉を聞いている。だから、頑張れと言っている本人のモチベーションが上がる。

という話だ。

 

この説の真偽は不明だが、人を罵倒している人が、怒りの度合いを勝手に上げていく様子を度々見るので、あながち嘘とも言い切れない。加えて、「頑張れ、は自分のため」というのが、私は気に入っている。

「頑張れなんて言われなくても、こっちは頑張っている。それなのに頑張れと言われると腹がたつ」

そんな話も度々聞く。頑張れと言われて前向きに捉えられない時は、私にもある。疲れている時や悩んでいる時には、特にそうだ。でもね、そんな時にも

「あの人の『頑張れ』の声は、本人のためなんだな」

と考えれば、私は腹は立たない。私には関係ない、と知らんぷりをしてもいい。あの人も何かやらねばならないことがあるんだな、とシンパシーを抱いてもいいだろう。自分の姿があの人の役にたった!と少し調子に乗るのも、私は嫌いじゃない。どうするにしても、頑張れ!にせよ、ファイト〜!にせよ、そういう声援の類は「言っている側」のやる気が上がるから発しているのだ、と受け取るようにしている。

そう思うようになってから、私は「頑張れ」「頑張って」という言葉が以前よりも好きになれた。どんどん言って欲しい。おっさん以外に に。

 

だいたい「他者の声援」なんて、自分ではコントロールしようがない。そんなことで自分の心理を乱すのは馬鹿らしい。折り合いをつけて付き合っていく方が生きやすい。それができない子も、もちろんいるだろうけれど。