『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。

怖い

色んなことを混ぜてしまい、問題の本質が見えにくくなることがある。例えば「いじめ」。些細なことでも見逃さないためだろう、「少しでも嫌だと感じたらいじめだ」と定義が変えられた。その結果、「ちょっと嫌だったこと」と「人権侵害」や「暴力」が一緒くたになり、犯罪的な行為が軽く扱われてしまいかねない怖さを感じている。これらは分けて考えるべきでないだろうか。

 

体罰も同様だ。

私は「体罰禁止」とは「身体的な苦痛を与える指導は許されない」と受け取っていた。例えば、長時間立たせる、というような行為である。

しかし、最近聞こえる「体罰は必要だ」という声の中身は、ビンタや殴ることさえも一緒くたになっているようだ。それは体罰と言うより、暴力であり、怪我をさせれば傷害だ。「体罰は必要だ」と言う人は「暴力」や「犯罪行為」も必要だと言うのだろうか。私自身は、体罰も大反対だ。もちろん、暴力や犯罪行為は反対に決まっている。

 

理由があれば、殴っていい。

 

そんな話があるだろうか。「体罰は必要だよね」と言う人はよく考えて欲しい。学校なら、暴力や犯罪行為も許されると言うのか。

どうしてそんな声が増えている(ように私には感じられる)のだろう。

最近の学校を取り巻く声が、ちょっと恐ろしい。