『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

敵味方

世の中には敵なんていない。誰もが大切な仲間である。なんて言えれば良いのだが、なかなかそうはいかない。現実として「合う、合わない」を感じることは多いし、性格の悪い私は敵対心を向けられることも度々ある。

まあ、そんなのは仕方ない。私の不徳の致すところ。けれど、気を付けていることがある。それは「敵の味方だからと言って、必ずしも敵ではない」ということ。

私に敵対心を向けてくる人と仲が良い人が、有益な情報をもたらしてくれることもある。さらに、その人を通じて「敵対する人」とも間接的につながることができるのだ。「敵の味方は敵」と考えるてはもったいない。

 

以前、ある方から一方的に関係を切られたことがある。知らないうちに何か失礼なことをしてしまったのかと悩んでいたら、後に、その原因は、その方と敵対する人と私が一緒に仕事をしたせいだと分かった。「敵の味方になったから、高橋は敵だ」と見なされたわけだ。それまで、その方がもたらしてくれる情報と助言に随分と助けてもらっていたので、そんな理由で切られたことが悲しかったし、悔しかった。腹も立った。私も、その方と親しい人全員との関係を切ろうかとも思った。が、やめた。それは私にとって大きな損失だからだ。

 

敵の味方は敵だ!というのは悲しい考え方だ。同じように、味方の敵は敵だ!というのも悲しい。味方の味方が頼もしい味方とも限らない。

みんな、もっともっとシビアに損得を考えればいいのに、と思う。その方が有益だし、平和だと思うのだけれど。