勤務校には「タカハシ」姓が3人もいる。そこで、4月に子供たちに
「キャプテンと呼んでください」
と頼んだ。1年経ってかなり定着。授業を受け持っている子供たちはもちろん、他の学年の子供たちも「キャプテン」と呼んでくれる。職員室に来た児童が
「失礼します。キャプテンに用事があってきました」
と言うのも日常になった。同僚も職員室で
「この書類はキャプテンに提出していいの?」なんて感じで普通に呼んでくれる。保護者も授業参観の日に
「すみません。PTAのことはキャプテン先生に聞くように言われたのですが…」
と話しかけてくれた。幼小交流の業務で幼稚園に行っても、保育園に行っても、園児は
「あ、キャプテン!おはようございます」
「キャプテン、久しぶり!」
とあいさつしてくれる。
これ、単純に楽しい。元々、演じることが好きな私は、今年一年「キャプテン」キャラになることで(やりたくなかった教務主任の)仕事を楽しんでやれた。子供たちはもちろん、同僚や保護者や地域までこれに付き合ってくれたのだから、感謝しかない。
もちろん、ただの思い付きではなく、私の中に「この学校には、こういうちょっとした『隙間』が必要なんじゃないの?」という考えがあってやったこと。若い教員も多い学校なので、若手がのびのびとやれる環境にしつつ、ベテランの先生方にも持ち味を発揮して欲しかった。それを強制しても上手くいくわけないので、私が一番先に「ちょっと変なこと」をやってみたのだ。
まあ、結果についての総括は年度末にやるとして、とりあえず私が楽しかったのは確か(笑)
一方で、忘れてはならないのが、そんな私の遊びを苦々しく感じている人もいる、ということ。
例えば、昨年度担任していた子供たち。その子達に
「先生って今年は、キャプテンって呼ばれているの?なんで?」
と言われた。そうか、そういう風に思うのか。子供たちは何の疑いもなく担任も持ち上がりだと思っていたのに、4月になったら担任を外れ「キャプテン」になった私に「なんで?」と思っているのかもね。ごめんよ。
そして、同僚の「きちんと」した方も、快くは感じていないだろう。私は隙間が必要だの判断したけれど、必要ないと考えている人もいるし、隙間は必要だろうけれど、それを教員がこういう形で作らなくていいと考えいる人もいるだろう。そりゃそうだ。
若い頃には、異なる意見を持つ人に対して対立的な心情を抱いてしまっていたが、今は変わってきた。そういう「きちんと」した方がいるから、私は安心して遊べるのだ。公教育の場では、遊び過ぎたら、周囲との関係の面でちょっと危険。危険なのにやっちゃう私。そんな私にブレーキをかけてくれるのだから、感謝しなければいけない。
と言いつつ、止まる気はないんだけどね(笑)