『学び合い』の本体は、教員の「一人も見捨てたくない」という願いである。私もそう思っている。
私にとってこの言葉は、「あの子を見捨てたくない」ではない。「あの子とこの子を見捨てたくない」でもない。「全ての子を見捨てたくない」のだ。
もしかすると、多くの教室では
「そうは言っても、こっちの子は大丈夫でしょ?」
と勘違いされているんじゃないか。「見捨てられる」存在とは何人かの「弱者」だという思い込みもあるのかもしれない。でも、そうじゃないでしょ!?大丈夫な子なんているの!?
私が「トップランナー」と呼ぶ『学び合い』をガンガン引っ張ってくれる子は、自分が安全地帯に居るから人を助けているわけではない。そうすることで不安から逃れられるから動いているケースも多い。私の目にはそう映る。
今の世の中、どの子も皆、崖っ淵。
もちろん、私も同様だ。
そこで押し合いへし合いして、崖下に突き落とそうとする者は、いつか自分も落ちる。落ちかけた者に一人で手を差し伸べても、救えないどころか一緒に落ちるかもしれない。だから皆で手を差し伸べ、支え合い、落ちかけた者を引っ張り上げた勢いで、皆で諸共崖っ淵から助かる。そんなクラスにしたい。
2、3人を救えば一人も見捨てないクラスの完成!なんて甘いイメージは、かなり昔に捨て去った。
けれど、これは言葉では伝わらないだろう。オーラは毛穴から吸う物なのだ。