『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

嘘か誠か

エイプリル・フールである。

 

さて。

度々「謙虚だ」と言われる。自分ではそうは思っていないが、否定することでもないので、黙っている。しかし、私のことをよく知る方は、私を「謙虚」だとは思わないだろう。ある方に言われた「無駄に謙虚」という言葉は、妙にしっくりきたけれど。

 

私の自己評価は、よく言えば「目指しているものにまだまだ届かない。満足できていない」のであり、もう少し正直に言えば「目標を高く持ったはいいが、それを達成するための策に、充分な確信が持てずに、迷いが生じている」ということだ。

ただね、これ以上やるとなると、色々と犠牲にしなければいけないものが多くて。不惑を過ぎても、まだまだ迷うなあ。

 

でも、今年の方針は決めてある。昨年は多少の遠慮もあり、今までやってきたことや、やりたいことをセーブした。そうすると、やっぱりダメなんだと分かった。同時に、若さのパワーや柔軟性の素晴らしさもあらためて分かった。今年は、遠慮なくやりたいことはやろうと思う。もちろん、配慮は忘れないけれど、下手に遠慮していたら、若い先生に置いて行かれてしまうもんね。

あとは、コロナがどうなるか、だなあ。

ガツガツと

TwitterやFacebookのアイコンを大学時代の写真に変えてみた。半分はふざけて。残り半分は、昔のことを思い出して。

学生の頃は、今となっては笑ってしまうような理由で、生きにくさを感じていた。今よりもギラギラとしていて、毎日のようにイライラして、でも、何となくワクワクしていた。まあ、それが若さというものか。おっさんになれば全く気にならないようなことを、グダグダと悩むのが若い時の特権なのだろう。

 

私は幸運にも、教員採用試験に合格してなんとかかんとか20年働いてきた。さて、21年目の教員生活は、無事に迎えられるのだろうか。少しだけ不安だ。と考えたら、昔のことを色々と思い出してしまったのだ。

 

どうしようもないダメな初任者で、一緒に採用になった同期の同僚と比較され、校長や初任研担当の先生にさんざん怒られたなあ。2校目に行っても

「お前はその辺の兄ちゃんがフラッと学校に遊びに来たみたいなもんだ」

と怒られた。昔の私は、全然「先生」じゃなかったのだ。

 

じゃあ、20年経ってどうなったか。やっぱり、普通の先生には、なれなかった。「変な先生」「普通じゃない先生」「異端の先生」多くの児童や保護者からそう言われる。それなのに、自分では「普通にやれている」と勘違いしている節がある。まずいまずい。

 

普通にやれない私は、それでもあきらめず、貪欲に働いてきたはずじゃないか。

来年度は、もう一度、ガツガツとやってみようかな。

そんな風に考えている。

スタートダッシュはできるのか

東日本大震災の後は、福島県では「授業中も常に窓を閉める」ようにしていた。被曝を減らすためである。4月に学校が再開されたら、今度は、「常に窓を開ける」ようになるのだろうか。窓の開閉については正反対だが、様々な報道がなされていて、いったいどれが正しいのか分からない状況については、震災の頃と似ている。私がその時に学んだことがある。どんなに正しそうに見える情報でも飛びついてはいけない、ということ。どんな情報も一度疑ってみるということ。信頼できる人たちが信頼している情報は何かを考えること。信頼できる「人たち」であることが大切で、個人を信奉してはいけないということ。これらは、今でも意識している。

 

4月以降の状況を考えると、今のうちに周到に準備を整えておく必要があるだろう。例えば、私の勤務地では、しばらくの間は「未履修事項を指導する期間」となる。そうなると、今まで「授業開き」で使っていたことがそのままでは使えない場合もあるだろう。子供たちも、夏休み明け以上に緩んでいることが予想される。4月にビシッとスタートダッシュはできるだろうか。ちょっと不安。それどころか、本当に新年度が始められるのかどうかも不安に感じてしまう。

不安がっていても仕方がないので、とりあえず、出来る限りの準備をしておくしかない。やれることをやっておこう。とりあえず、今日と明日は、分掌の仕事を進めておくつもりだ。