少し前からずっと「書きまとめたいなあ」と考えていることがあって、頭の中でグルグルと捏ねくり回している。簡単に言うと「何故、学び合うことが必要なのか」という話だ。
10年ほど前、勤務していた自治体が国の研究指定を受けて、かなりガチにICT教育に取り組んだことがある。また、パナソニック研究財団の助成を受けて、坂内さんや古田さん達と、遠隔授業に取り組んだこともある。一人1台のiPadを使って授業したり、教室と教室をつないで私のクラスの子供たちが坂内さんのクラスの授業参観をしたりなど、今の水準で見ても、そこそこ先進的なことをやっていたと自負している。
その時に感じたのは「これは広まらないな」だった。「これ、いいね!」と感じている人と、そうじゃない人とで、反応が二分したからだ。中には「ICT機器を有効に使うためには、チョーク&トークの技術が必須だ」なんて話も出たなあ。
それから10年。やっぱり広まってないよね。
今「オンライン授業」を経験している子供たちやそれを見ている保護者の反応も、似たような雰囲気を感じる。オンライン授業に手応えと更なる可能性を感じている人もいるけれど、同時に「やっぱりオンラインなんてダメじゃん」という声も聞く。まあ、あたふたして、何も動き出さない私の勤務校の超保守的な状況を何ともできていない私は、本当に情けないんだけれど。
アフターコロナは、オンライン授業や広域通信制の学校が大きく広まる、という一面も、当然あるだろう。でも、反動で「やっぱり顔を合わせる学校が一番!」という声も大きくなるのは、容易に想像できる。
じゃあ、そういう二極化が起きた時、「どっちも大切だよね」なんていう誤魔化しではなく、どんな考え方で子供たちの前に立てばいいのか。それを本気で考えていきたいのだ。大雑把に言えば、「だからこそ、もっと自然な学びを考えていくべきだ」ということであり、「だからこそ、学び合うことを人々は求めるのだ」ということ。
かなり本気で、構想を練っている。