『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「人」こそが最強

12年前、福島県新地町の学校に勤めていた時に、国から補助を受けての町の事業として「一人1台iPad &Wi-Fi完備」の環境で授業を行っていた。全国的にも非常に先進的な取り組みで、かなりのお金も絡んでいたのだろう。ガチで色々と試した。町全体で大々的な研究発表もした。お国の方々やApple Japanの方々、これから教育村にICT機器を売り込もうとする企業の方々にも、結構な頻度で授業を見てもらった。

その結果、私が出した結論は「結局は人が最強」ということ。子供達が主体的に学び方を選択できる環境では、たとえ様々なコンテンツを用意しても、子供達は「学び合う」という方法を選ぶ頻度が圧倒的に高いのだ。ICT機器も、教科書も、辞書も、参考書も、ノートも、黒板も、ホワイトボードも「あれば便利だし使うけれど、なくても困らない」のである。けれど、「人」はないと困る。それほど、学び合う衝動は強力なのだろう。

もちろん、この時に私が出した結論は、間違えている可能性がある。だから、GIGA以降、私の認識を変えてくれるような発信を探しているが、今のところ琴線に触れるようなものは見当たらないなあ。

読解

「読解力って何だろう」とずっと考えています。
で、下のようなことを思い出しました。これが読解力を測るものだと考えているわけではありませんが、まあとりあえず、下の文を読んでみてください。

 

① Aという事象が、世の中にどれほど存在すると言えるのでしょうか。

② Bという事象が、世の中のどこに存在すると言えるのでしょうか。

①の文では、Aは数は存在するけれど、多くはないと述べています。でも、②の場合、Bは存在しないと言っています。ごく単純に言えば、Aはあるけど、Bはない。
この違い分かりますよねえ?

 

では、この文はどうでしょう。

③ Cが、この問題の元凶となっている。

④ Dは、この問題の元凶とされてしまっている。

③の文では、Cは何某かの問題を引き起こしていると述べられています。けれど、④の文では、「本当は、Dは悪くないのに」という気持ちが透けて見えます。このニュアンス、伝わりますでしょうか。

 

こういう違いが分かる・分からないって、いったいどこで分かれるのでしょうね。
こういうのは、読解力に入るのでしょうか。読解力ってなんだ!?よく分かりません。

決まっているが決まらない

新しい本を書く!と決めたが、なかなか進まない。

内容は決まっている。学級崩壊の種類と、その対処法だ。

今の学校には、大きく分けて2種類の学級崩壊があると思っている。

一つ目は、1990年代から問題となっている従来型の学級崩壊。これは、いわば「アーリーアダプター(=オピニオンリーダー)が担任を見限ることで発生する学級崩壊」だ。しかし、多くの教員は、このメカニズムを理解できていない。だから、従来型学級崩壊は、現在でも継続して発生しつづけている。

もう一つは、2010年代から目立ってきた新しい型の学級崩壊。これは、「教員が誤った方策によって集団にとって好ましくないオピニオンリーダー役を育ててしまうことで発生する学級崩壊」だ。この「誤った方策」は現在、日本中で広がっている。多分、新しい型の学級崩壊は、これから10年で更に広がるだろう。

 

私は、自分が実践することは好きだが、そのノウハウを説明することができない。

今回、筆が進まない原因もそこだろうなあ。私は、具体例を実践記録風に書くことしかできないのだろうと思う。