『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

教師のやるべきこと

初任者の時、どう考えても「隣のクラス」に負けているのが悔しかったのを覚えています。新卒教員のわたしが、教師として先輩の先生に負けているのは当たり前だと認められるけれど、それでも、学級が、学級の子ども達が負けているのは嫌でした。
今も嫌です。世の中には「スーパーティーチャー」と呼ばれる人が居ます。わたしは、そういう教師になることは出来ないでしょう。けれど、学級の姿として負けるつもりはありません。


多くの教師が「わたしは、普通の教師でいい。スーパーティーチャーになれなくていい」と言います。
そう言いながら、スーパーティーチャーと呼ばれる人の真似をします。スーパーな人の80%くらいなら真似できるんじゃないか、そうすれば80%くらいの成果を挙げられるんじゃないかと思っているのでしょう。
でも、実際はそうはいきません。80%の成果どころか、効果0%。下手したらマイナスになる恐れもあります。何故なら、子ども達が着いてこないから。真似っこ教師は、新しいことを学ぶと直ぐに使いたくなります。自分の都合でコロコロと言うこと・やることを変えるので、子ども達が「やってられないよ」となるのです。

大体、「普通の教師でいい」という言葉が舐めています。
世の中の「普通の人々」は、とても凄いのです。
町の普通のケーキ屋さんだって、豆腐屋さんだって、蕎麦屋さんだって、素人には絶対に真似できないレベルの技術を持っています。
今回の震災で分かったことですが、普段は何かと叩かれる公務員だって「地域のため」となったら、凄まじいくらい働いた方々がたくさん居ました。医師や看護士といった医療関係者の方々の「患者のため」という気持ちも、本当に頭が下がるものがありました。(もちろん、何事にも例外はありますけれどね)それでも皆さん、言うのです、「これが私達の仕事ですから」って。

じゃあ、「普通の教師」が持っているべき「素人には絶対に真似できない」ことって何でしょう?「普通の教師」がどんな状況でも果たすべき「私達の仕事」って何でしょう?

それを表明した上で言って欲しいです、「わたしは普通の教師で良いです」と。それがないと、唯の手抜き授業に成り下がります。『学び合い』は教師が何もしなくていい授業ではないのですから。

じゃあ、nao_takaが考えている「素人には絶対に真似できないこと」「私達の仕事」とは何かと言うと。。。

それを本に書こうというわけですよ。