『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

問題はどこにあるのか

最近では、「問題児」という言葉は,あまり使われなくなりましたよね。人権的な配慮なんでしょうか。
その代わりなのかどうかは分かりませんが、「発達障害の疑い」とか「グレーゾーン」なんていう言葉が聞かれます。


わたしは、この言葉が大嫌いです。
発達障害」を持つ子が、存在することは事実だと思います。
わたしから保護者さんに検査を勧めたこともあります。(その後、涙なしでは語れない『ドラマ』が生まれたのですが、ここでは書けません。)



けれど、自分の指導力不足を子どもに責任転嫁し、「疑い」とか「グレーゾーン」とかいう言葉を軽く使う教師が、わたしは許せません。
わたしは言葉が悪いので、
「そんなこと言ってるお前は、本当に教師なのか疑わしいし、教師としてグレーどころか真っ黒じゃ!辞めてしまえ!」
と言いたくなります。最近では多少は丸くなったので、笑顔で
「我々は、医者じゃありませんから^^。勝手な思い込みは、子どもの成長を阻害しますよ」
と軽くたしなめることができていますが。


先日の免許状更新講習で、次のような趣旨の話を聞きました。
発達障害は、子どもの中にあるのではなく、周りの環境にあると考えて欲しい。環境が変われば、障害が障害ではなくなる場合もある。」


なるほど!と思いました。AD/HDは狩猟民族には必要な能力だという話を聞いたことがあります。今の「学校教育」では「障害」とされていますが、過去には必要な素質であり、もしかすると、未来でも必要となるかもしれません。


「問題児」が本当に問題なのかどうかなんて、怪しいものなのです。
もしかしたら、その子が生き生きとできない学級にこそ、問題があるのかもしれません。
問題はどこにあるんだ!?本当に子どもにあるの?本当は学校や教師にあるんじゃないの?そういう視点が必要です。


今日の体育。ソフトバレーボールで、パスの練習をしていました。
「協調性」がなく「好き勝手」にやっていた以前は「問題児」と言われていた子達が、上達のコツを発見しました。「仲良く」「協力して」やる「優等生」たちは、自分たちの殻をなかなか破れないものです。


特別な配慮が必要な子が居ることを、わたしは否定しません。
でも、わたしが目指すのは、「きめ細かい特別支援」が用意された学校ではなく、「多様な子がいることをむしろ喜ぶ懐の広さ」を持った学校です。


それが実現できていない原因も、きっとわたしにあるのです。