『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

2割の子

こんな想像をしてみました。

むかしむかし。
日本にコメ作りが広まり始めたころ。
ある縄文の村でも、コメ作りに挑戦を始めました。小さな集落の人々が、慣れない道具を使って、田を作ろうと力を合わせています。

しかし、中には「米なんてモノ、作ってられねえよ!俺は今まで通りの食生活を続けるのだ」とコメ作りには一切手を貸さず、今まで通りの食料を集め続ける協調性のない頑固な男がいました。
人々は、その勝手な頑固男を無視し、コメ作りに取り組み続けます。
数年後、コメ作りは軌道にのり、人々の食生活は豊かになりました。
それでも、頑固男は、今まで通りの食生活を続けます。
人々は、多少は困ったものだと思いつつ、しかし、その男を追い出すようなことはしませんでした。


さて、ある年のこと。冷害や雨不足により、極端にコメが不作になってしまいました。コメ作りが軌道にのったといっても、人々に十分分け与えるほどの貯えはありません。天候が不順なのですから、木の実や野草の類も不作です。
食糧不足は明らかです。
村の人々が頭を抱えていると、こんな声が聞こえてきました。
「食べ物なら、あるぞ」
声の主は、あの頑固男でした。男は、ここ数年、採取する人間が減ったことで豊富に手に入るようになった木の実や他の食料を備蓄しており、それらを人々に分け与えたのです。
協調性のない頑固な男が、多くの人々を救ったのでした。


おしまい。




まあ、ただの空想です。
こんなことは、歴史上、起こっていないでしょう。突っ込みどころも満載です。わたしのただの思いつきですから。


でも、「協調性のない頑固な存在」「一見、集団の和を乱しているように見える存在」は、必要だというのは、本当ですよね。学校や学級に存在する2割の「協調性のない頑固」な存在は、必然性があって存在しているのだと、わたしは本気で思っています。
その必要な存在を消そうとするから、集団に無理が生じます。切り捨ててしまっても、上手くいきません。
大切なのは、その存在を切り捨てないことです。
思いもよらないトラブルに対応できるのは、そういう存在なのかもしれないんですから。
より多様な集団は、より強大な力を持つ。
分かっているようで、なかなか難しいものです。何度も自分に言い聞かせています。