『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

夜明けだっぺ!

この一か月,子ども達のレポートを何百枚も(大げさではなく,本当に)読みながら,分かってきました。
子ども達の思考がしっかりと紡がれて行く時と,そうではない時に何が違うのかが,よく分かってきたのです。

「よく学び合っていれば,書ける」と言えば簡単なのですが,じゃあ,「どういう話ができていれば,よく学び合っていると言えるのよ?」ということです。


わたしは,児童相互の対話の「質」が決め手だな,と思いました。
例えば,社会。こういう話の時は駄目ですね。
「…それて,いつなの?」
「1951年だよ」
「どこに書いてあるの?」
「ここだよ」
「ありがとう。あ,あった。…ソ連って何?」
「国の名前。ロシアの名前が変わったんだよ。太平洋戦争でも出てきたじゃん」
「あ,そうか」
…続く。
しっかり学び合っているような感じはします。でも,これだと,あまり良いレポートにはなりません。

でも,こういう話の子は書けますね。
「独立ってどういうこと?」
「日本は占領されてたでしょう。それが終わって,自由になったんだよ」
「それが1951年なの?」
「そうそう。でも,まだ沖縄は占領されたままなんだって」
「何でなの?」
「えー,分からない」
別の子「あ,それならね,さっき聞いてきたよ」
「教えて」
「うん,あのね…」


まあ,比べてみれば簡単ですね。
上の会話は,「いつ,どこ,なに」のレベルで終わってしまっています。
下の会話は,「どういうこと,なぜ」まで考えています。(ホワイトボードミーティングで言うところの「オープンクエスチョン」ってこういうことなんでしょうか?)
こういうレベルの話ができる集団じゃないと,なかなかレポートを書き続けることはできないだろうなあと思います。
もちろん,全員じゃなくていいんです。一部の子の成長が,段々と全体に波及していきますから。


そして,こういう会話を生み出すには,絶対に予習が必要です。
一斉授業で言うところの「自力解決」(というのは,福島県だけ?)程度のことは予習してこないと,深い話し合いはできません。そして,そういう予習が可能な体勢を整えてあげなくてはいけません。
わたしは,一単元分の課題と主な学習内容を一覧表にして,児童に配布しています。
児童はそれを見て予習してきます。中には,並の教師以上に見事にノートにまとめてくる子もいます。(というのは,レポートに取り組む前には,ずっと「ノートにまとめる」を求めていたからです。ノートでは「楽勝」過ぎるようになってきたので,この会に入り,レポートへと発展させていったのでした。)
そういう「トップランナー」が育ってくれば,学級がどんどん進んでいきます。


わたしが勤務しているのは,僻地です。福島県の「端っこ」です。
それでも,「中央」の子に負けたくないなあと思っています。
明治維新では,地方の若者が,大革命を成し遂げました。
教育改革が地方の学校から起こらない,ということはないと思っています。


福島県の「端っこ」でも,ここまで出来るのだ!
と胸を張って言えるような子ども達を育てることが,現時点でのわたしの「志」です。


そして,ゆくゆくは,ふぐすま弁で叫ぶのです!


日本の教育の夜明けだっぺ!!