『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

言語化のすすめ


昨日は,西川先生の「生存戦略仮説」を紹介しました。
わたしは,この仮説は正しいと思っています。まあ,こういう話には異論反論は付き物ですし,過去のことを「絶対だ」と確かめる方法はないですけれど。

でも,そういう話はちょっとおいといて。


『学び合い』は,この戦略を最大限に生かし,いわゆる学級経営と学習指導を同時進行していく戦術なのだ,というのがわたしの考え方です。『学び合い』は「方法」ではない,とはよく言われますが,さらに言うと授業理論でもないのです。西川先生が「『学び合い』は経営学」と言うのも,わたしは納得です。
わたしの理解をモノスゴク簡単に文章化すると,
ホモ・サピエンスは,数多の困難を乗り越えるために,異質な存在を排除するのではなく,共存する戦略をとってきた。それが今日の発展に繋がっており,当然,学級でも同じことが言える」
ということです。だから,課題を解決していくと,自然と共存関係が築けるのです。簡単な理屈です。もちろん,小学生でも理解できます。


『学び合い』を始めたばかりのころは,『学び合い』を人に説明するにしても,西川先生が書いていらっしゃる「一人も見捨てない教育」「3つの観」などの言葉をなぞっているだけでした。最初は丸飲みするしかないとは思います。でも,一度は丸飲みしたものを,反芻し,咀嚼し,消化した上で,自分の言葉で,しかも,出来るだけ多くの人に伝わるように言語化することが必要なのだと思います。
だって,あなたの教室で,先生や友達の説明をなぞっているだけの児童がいたら,あなたはその子を「理解できている」と判断しませんよね?

それが必要なのは,長く続けていると「あれ?」ということが出てくるからです。その「あれ?」も典型的なものは,対処法があちこちに書かれています。問題は,それで解決できないことにぶち当たった時なのです。
『学び合い』では,問題は子ども達が乗り越えます。教師は,その問題を乗り越えることの意義を語るだけです。その時,教師が何を語るのか。とっさの時にでる言葉が,『学び合い』の成否を分けるのだと思います。

例えば。
クラスの中で,数名の子が分からないまま頭を抱えている。周囲の子は,にこやかに自分の学習を進めている。このまま授業が終わってしまいそう。(こういうことってありますよね?)
そういう時,どうしますか?


他にも。
学級全体のテストの点数は悪くない。むしろ,向上している。でも,数名の点数が伸び悩んでいる。中には,非常に悪い点数の子もいる。
そういう時,どうしますか?


わたしは,こう言います。
「なんだ,余裕だなあ。しまった。失敗した。ごめん,課題と評価のレベルが下がってたなあ。よし,レベル上げるからな。お前たちならできるもんな,もっとできる。もっと!もっと!できるもんな!」
普段から子ども達に語っているこの言葉が,このブログのタイトルの由来なのです。
分からない子がいる時も,テストの点数が下がっている時も,課題のレベルを上げるのです。もっと!もっと!と求めた時,クラス全体が伸びるのです。これがわたしの現時点での「授業理論」です。


わたしは,旧ブログ「縦横無尽」を書いていた時から,可能な限り失敗談も成功談も言語化してきました。(まあ,失敗なんて本来ないんですけどね。想定通りにいかない時には,方向性を修正すればいいんですから)ログは残していないけれど。
そうやって書くことで,わたしの『学び合い』への理解は進みました。


そう考えると,わたしが今,授業の中で子ども達に「言語化」を求めているのは自然な流れなのでしょう。この会に誘われたのは,偶然ではなく必然なのですね。しみじみ。


さあ,あなたも言語化してみましょう!
『学び合い』って何ですか?そして,そこから導き出した「あなたの」授業理論はどんなものですか。