『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

そこじゃない!

一斉指導と『学び合い』は,対比的に語られる場合が多いように思います。まあ,それ自体は構わないのですが,比較する時の視点が「そこじゃないんだよ!」ということが多々あります。

例えば,授業の中で,全員が「分からない!」となったとします。
そういう時には,『学び合い』だって教師が教えるべきだというのがわたしの考え方です。だから,教師が教えるか教えないか,という比較は間違っていると思います。一斉指導と(わたしの)『学び合い』で違うのは,この先です。


一斉指導では多くの教師は,なるべく多くの子ども達が分かるようにと考え,「分かりやすい」説明を行うでしょう。さらには,分からない子ども達のために,二の手・三の手を打つでしょう。

でも,わたしは違います。
わたしが意識するのは,分かりやすさではなく,「なるべく短く」説明を行うことです。クラスの2割程度(19人学級なので,3〜4人)が分かれば十分だと思って説明しています。その後は,学び合う中で,その3人が数名に伝え,さらにその数名が伝え…というように,どんどん広まっていくでしょうから。その時間を確保するために,「なるべく短く」説明するのです。

ここでポイントとなるのは,教え過ぎないことです。というのは,わたしが教えれば教えるほど分からなくなる子が,絶対にいるからです。また,わたしが教えたこと(多くの場合は,ヒント程度)を最初に理解するような勉強が得意な子も,まだ完全に理解できていない段階では,他の友達を巻き込んで相談したり,自分の考えを説明して正しいかどうか判断を仰いだりしたいものです。それは「分かったから教えてあげる」という学び合いとは全く別物です。


こういう「方法」が導き出されたり,上手くいったりするのは,わたしの「考え方」がそうさせています。
学習内容が難しければ,「分かった子」も「分からない子」もお互いに共存することができます。それが人間が共通して持っている戦略だからです。分かりやすく簡単にしてあげると,「分かった子」と「分からない子」の関係はフラットにはならず,お互いを排除しようとします。それも,人間が共通して持っている性質です。
「教師は分かりやすく教えるのが仕事だ」とか「分かった人が教えてあげてね」といった考え方の教師には理解できないだろうな,と思います。授業の参観者から,そんな程度の説明でいいの?と質問されることも度々です。(でも,不思議と,一斉指導が上手い先生ほど,わたしの短い説明にも理解を示して下さいます。というのは,一斉指導が上手い先生も,説明は短いものだからです)


また,そういう授業をするには,ある程度「教える力」も必要です。ただダラ
ダラとしゃべっているだけの説明では,こういった力加減は無理ですから。
これは,『学び合い』を成立させるための力とはちょっと違うものでしょう。
でも,ある程度,学級が成熟してきたら,こういった力も必要になる時がくるのだと思います。
繰り返しますが,これは『学び合い』が成立しない!という時の話ではなく,学級が育ってきた後のことです。お間違いのないように。



何はともあれ,教師が教えるか教えないか,程度の違いで一斉授業と『学び合い』を比べている方は要注意。違いはそこじゃない。そんな簡単な話じゃあないんです。