『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「方法」を語らない

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。



さて。
昨日は、失敗を生かせることが大切、という失敗観について書きました。
じゃあ、そう考えられるには、どうすれば良いかというと、自分がそういう生き方をしてみれば良いのです。
なので、今日は、わたしが失敗から学んだことを書きたいと思います。


わたしは、昨年度、ちょっとした失敗をしました。
どんな失敗かというと、学級の『学び合い』自体は崩れていないのに、その割には点数が伸び悩んでしまった時期があります。
今となっては理由が分かっています。震災後、わたしの価値観がブレてしまって、
「この震災を無事に生きのびただけでいいじゃないか。命こそが大切じゃないか。それなのにテストの点数を求めるなんて、不純だ。点数なんてものにとらわれず、精一杯生きて行って欲しい」
なんて事を考えていました(そう感じるような大変な状況だったんですよ、本当に)。子ども達にとっては、未来とどう繋がっていくかが大切なのに。


口では、震災前と同じように、学力を伸ばすぞ!ということを語ってたつもりです。でも、心の底では違っていたのです。精一杯生き抜いてくれれば、点数は二の次と思っていました。
そうすると、不思議なもので、子ども達は精一杯学んでいるようで、本当に点数は上がらないのだと分かりました。
それは、わたしの語りから、わたしの真の想いが伝わるからなのです。


教師がどんな想いをもって、どんな風に語るか、というのは非常に重要です。
想っていることと違うことを語っても、何人かには本音はバレるものです。逆に、中には教師の言葉を言葉通りに受け取る子もいますから、子ども集団の方向性は一致しないでしょう。
そんなことを続けていては、子ども達の信用を失いますし、集団も少しずつ崩れていきます。
語る力は、何よりも重要だと思っています。


わたしの語りがブレるのは「方法」を語ってしまう時です。
「精一杯、頑張って生きて行こう」というのも、方法レベルだったのです。あと、よく有りそうな、
「みんなで協力してやりなさい」
と言うのも方法です。
また、ある特定の学習方法を取り入れるのも、教師がどんなに良いと思っても、方法は方法です。
そういう時はブレます。集団の方向性がブレます。
『学び合い』が安定化しない皆さんは、方法を語っていませんか?学級をブレさせていませんか?


皆で助け合うことと、学力を高めること、どちらがその授業の目標ですか?そこが定まらないと、方法レベルのことばかりを語ってしまうことになります。両方大切、というのも駄目ですね。必ずブレます。
方法ばかりを語ると、集団の団結力は下がるのは、「生存戦略」を考えれば、当然のことだと分かるはずです。


じゃあ、我々の「織り重ねる活動」は方法ではないのでしょうか?


はい。方法です。
でも、大丈夫なのです。


何故でしょう?
その答えが分かると、ブレずに語れるようになると思います。