『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

継続させるには その3

続きです。
全校『学び合い』を何年も継続させるというのは、個人レベルでは難しいと思います。
全校『学び合い』に対して否定的な意見を聞いたことが何度かありますが、そういう意見も、正直に申しまして納得です。
「本当に、この形が何年も続いていくのですか?校長が転勤したら終わり。中心の教師が転勤したら終わり。そうなるんじゃないですか?」
という気持ちがあります。(批判ではありません。地域全体が学び合うようになれば、それは素晴らしいことですから)


では、どうすれば『学び合い』を続けていけるのでしょうか。


それは、教師が目指す学級の姿を、「みんなが助け合う」からもう一段高いものに変える必要があります。


ちょっと違う話。『学び合い』のことではないのですが。
金曜日、学級経営と授業について、同僚(と言っても先輩ですが)から、たくさんの質問を受けました。また、地区内の先生方から相談を受けたり、話を聞いたりすることも時々あります。そういう時にいつも感じるのは、「簡単にし過ぎなんだよね」と言うことです。
多くの方が、もっと良い授業にしたい場合に、勉強の苦手な子ども達に合わせて、学習活動や内容を出来る限り簡単にしている傾向にあります。(わたしが相談を受ける多くの先生は『学び合い』ではなく、一斉授業をやっている方ですけれど)
多くの教師は優しくて良い人ですので、思いやりからそういう行動に出るのかもしれません。更には、教育界のトレンドとして「苦手な子でも学びやすいようにすれば、みんな学べる」というユニバーサルデザイン的な考え方が広がっていますから、それを勘違いしているのでしょう。
簡単にしてあげようという気持ちが、小さな親切大きなお世話。先生の話をただ聞く・先生が書いたことをただ写すという、児童にとっては退屈な活動が続き、先生だけが汗をかいている。そんな失敗をしている方にちょくちょく出会います。(わたしが話を聞くのは、福島県の中でも極一部の狭い地域に過ぎないですけどね)
教師の話を聞く・板書を写す、というのは、誰でもできるようで、そうでもありません。ずっと聞き続けることの退屈さは、教師だって分かっているはずです。
逆です。
一番得意な子も一番苦手な子も、どの子も一生懸命に学べるのが、理想の授業ですよね。その上で、一番得意な子にも、教師が「まだまだ甘い!」と言える授業。それが全員に公平な授業だし、それが授業のユニバーサルデザインだと思います。(ただ、これを『学び合い』以外で目指すと、どんなに頑張っても2割以上の子ども達が蚊帳の外になってしまうんですけれど)
簡単に、誰でもできそうなことを並べるは、授業にとっては悪です。


この話は、『学び合い』でも同じです。
助け合い型『学び合い』では、関係が固定化します。苦手な子は、「聞く・写す」が増えていきます。退屈です。そのため、最初は『学び合い』の目新しさから意欲が一時的に高まっていたものの、日に日に意欲が下がります。「子ども同士なら大丈夫」というのは教師の勝手な幻想です。得意な子達が汗を流すことになってしまうのです。汗だけなら、まだ良いですけれどね。もしかすると、涙を流しているでしょう。苦手な子も、得意な子も、どちらも可哀想です。
でも、得意な子は教えないわけにはいきません。「助け合うクラス」が目標なのですから。教えない=助けない=目標に反する ですから。
目標違反なんてできないような真面目で一生懸命な子の代わりに、親が教師に訴えてくるのは、当然です。モンスターでも何でもありません。
違うんです。
子どもの中で「授業中は座っているものだ」という常識が崩れたら、次の段階に進むのです。
次の段階とは、
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/nao_taka/20130111/1357877962
で言うところの「弥生レベル」の学級です。
毎日の授業の中で、「いかに力を伸ばすか」を真剣に考えていく学級です。
それは、多くの教師にとって未知の領域ではないでしょうか。
わたしも、「仲の良い学級作り」は『学び合い』以前から取り組んできました。「(教師が)学力を高めるための指導」も勉強してきました。けれど、今度は「児童が学力を高め続ける学級作り」をしなくてはいけないのです。
これは難しい!「助け合い型」とは大違い。何と名付けましょうか。
難しいので、仮に「持続向上型『学び合い』」とでもしておきましょう。


持続向上型『学び合い』では、目標は「学力を向上させること」です。
ここは譲れません。
学校は、学習する場だからです。
この学力は、教師の好みで決めてはいけません。
学力とは、「基礎的な知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」「学習意欲」です。だって、学校教育法の第30条第2項に書いてありますから。こういうのは、ブレないことが大切です。法律はこっちの都合ではブレません。こういう客観的なものって大切です。
学力を高めるためには、友達に教えないことも必要です。
学力を高める=自分も分かることが必要=ちょっと待ってて!=教えない ってわけです。
教えなくても良いけれど教えるのは、一緒に必死に勉強している仲間だからです。仲間を助けるのは「得」だから。助けたいから助けるのです。目標だからではありません。(でも、自分がいっぱいいっぱいの時は教えないのです。というか、教えられないのです)


じゃあ、どういうタイミングで、助け合い型から持続向上型にシフトすれば良いのでしょう。
また、その場合に留意すべきことはなんでしょう。


それを書きたくて、この話を続けていたのです!


が!何と言うことでしょう。この男が、似たようなことを先に書き始めていました。
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/?word=%2A%5B7つの力%5D
皆さんご存知、furu-tさんです。
まったくもって、迷惑なことです(笑)。先を越されました。だから、ブログのアクセス数も水をあけられちゃうんだよね。


でも、ここまで書いたら仕方ない。
これまた、気が向いたら書きます。

つづく(と思います。飽きなければ。)