『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

持続向上型『学び合い』のススメ その1

やっと本論を書けます。
今回は、その1。

1 持続向上型『学び合い』に必要な「子ども観」
です。『学び合い』の子ども観は「子ども集団は有能である」というもの。それは、そうなんです。
でも、そこから一歩踏み出して、この「観」を深めてみましょう。
とは言うものの、深めるって言葉、都合良く使える分、曖昧ですよね。
出来るだけ具体的に、でも、簡潔に書いていこうと思います。


・「子ども集団は有能である。しかし、教室内の教師の存在も超強力である」という自覚と覚悟を持ちましょう!
確かに、子ども集団は有能です。教師にできないことを、子ども集団はやってのけます。でも、教室内においては、教師の存在も超強力。有能な子ども集団を抑え込んだり、進む方向を変えたりすることもできちゃうのです。そういう自覚を持ちましょう。
『学び合い』を続けていると、どうやら「教師よりも子どもの方が強い」というような思いに囚われてしまう傾向があるようです。
でも、そんなことはありません。教師には強大な「権力」があるのです。
子ども集団が一つにまとまった時には、教師以上の力を発揮します。逆に言うと、まとまりを欠く子ども集団は、教師ほどの力を持っていないことが多いのです。学級が一つの方向に向いていない時、「ぎゅ!」っと掴むことが必要です。握るべきときには握るのです。
さあ、教師として、「有能な子ども集団」のボスになる覚悟を決めましょう!


・だから、教えることが不可欠。『学び合い』は教えない教育ではない。
助け合い型『学び合い』の時期には、「教えない」ほうが良い場合もあります。でも、それは「教えない」という方法によって、子ども達が助け合うのを促進しているのです。「教えない」も方法の一つに過ぎません。
教師には力があります。その力が必要な時には、発揮しましょう。
わたしは、分からない子が居たら、普通に教えます。
で、「やっぱり分かりません」と言われる時もあります。そういう時には「誰か頼んだ!バトンタッチ!」と言って去ります。そうすると、誰かしらが教えてくれます。誰かは指定しません。でも、「ボス」が「頼んだ」と言えば、誰かがやるのです。だって、ボスの命令だから。
わたしが教えて、分かる時もあります。そういう時には、思いっきり嫌みを言います。「やっぱり、まだまだ甘いな!」子ども達はそんなわたしをにこやかに無視して、わたしに教わっていた子の周りに集まります。そして、わたしの教えたことを教わるのです。
教えて「も」良いのです。
有能な子ども集団でも上手く行かない時に、それを助け得るのは、教師しか居ません。


・限界がある、という当たり前のことを忘れないように!
とは、言いながら、わたしが全員に教えることは絶対に無理です。だからこそ、子ども集団を育てるのですから。
自分に限界がある、という意識は非常に大切です。ここまでしか出来ない、ということは逆に言うと、ここまでなら出来る、ということなんですから。


・まとめましょう。
「子ども集団」は有能に成り得ます。でも、ボスが無能なら「烏合の衆」にもなる可能性もあるのです。「有能な子ども集団を育てるのは自分だ!」という強い気持ちを持ちましょう。それは、「強面で叱咤激励する」ということではありません。そんなトップは無能です。有能な管理者とは、和やかな笑顔の下に、揺るがぬ意志を持っているものです。強くて優しいリーダーになりましょう!



以上。出来るだけ簡単に、わたしが考える持続向上型『学び合い』に必要な子ども観を書いてみました。
さて、次は「学校観」に行きます。