『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

これからの仕事

ファシリテーション」や「ファシリテーティブ・ティーチャー」という言葉を耳にすることが増えています。
その中身を見てみると,なるほど,とても魅力的です。旧来的な教師像を打ち破るものに間違いありません。現在話題になっている体罰反対の風潮にのって,厳格な指導者的教師像よりも,温かい援助者・支援者的な教師像が,ますます求められていくことでしょう。


でも,教育の「これから」を担う我々は,もっと先の展開を考えていかなければいけません。「我々」というのは,若手と中堅の間にいる年齢のこと。まさに,これからの教育を創っていく立場。40代の皆様は,今の教育を推し進めるのだと思います。20代はそんなこと考えないでいいから,目の前のことに全身全霊を傾けて。30代は「次」を考えなくちゃね!
ちなみに,わたしは1977年生まれ。77年生まれは,教師の当たり年だと言われています。(わたしが作ったんですけど)


わたしが考えているのは,「経営責任者としての教師」です。
学校でもマネジメントの考え方が,少しずつ取り入れられています。2年前,わたしが10年次研修を受けた時にも,マネジメントの講義がありました。(でも,他の受講者が「こんなの何の役に立つんだよ」「本当だよな」という会話をしているのを聞いて,苦笑してましたけどね)


わたしは,教員になったばかりの時,学校って,商店街みたいなモノだと感じました。
個々の担任が自分のやりたいように個人商店を経営する。普段は別々に好き勝手。完全に自己責任。隣へはあまり口出しできない。初任者であっても
「先生のやりたいようにやるのが一番」
「最後は担任の先生が決めることだから」
と言われる。(それは,周囲が無責任なのではなく,むしろ,口出しするのは失礼だと思っているから)
時々,お祭り(運動会や学習発表会)や慶事(入学式や卒業式)の時には皆で協力するのも商店街的。潰れても(学級崩壊しても),それは個人の責任。みたいな。


それが,商店街的学校がどんどん潰れていくので,段々と風向きが変わってきました。学校が一元的な管理の下に置かれようとしているのも,個人経営的な仕組みから,校長を責任者に,皆で学校を作っていこう!ということだと思うのです。(あんまり上手くいっていませんが)


でも,まだまだ足りないと思うんですよね。
というのは,ファシリテーションにしても,現在のマネジメントにしても,子ども達を「お客さん」「顧客」として考えているように思うのです。
お客さんである子ども達(と保護者)の「顧客満足度」を上げるために,どんな学校・学級を経営するか,というのが,少し前から始まっているマネジメントの考え方。


わたしがイメージしているのは,子ども達はお客さんではなく,組織の一員として「働く」学校です。
子ども達は,売り上げではなく,学力を上げるという任務を遂行します。
その報酬として,「人格の完成」に少しずつ近付き(人格が完璧に完成する,なんてことは無いでしょうけれど),さらには「平和で民主的な社会の構成者」としての資質を磨きましたよ!という証明(卒業証書)を得ることができる。
そういうイメージです。


学校なんてモンは,予算もなければ,人事権もありません。
もちろん,子ども達も教職員も,基本的には来る者は拒まず,です。
そういった中で,学校を経営していくのですから,企業流のマネジメントでやってもうまくいくはずがありません。というか,企業よりも数段難しいことをやっていかなくてはいけません。
そういう意味で,やっぱり『学び合い』だよな,と思うのです。