『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

家庭教育力と学校

小学校の教育は、かなりの部分で家庭の力に頼っています。


例えば、発想が豊かな子や色彩感覚に優れた子は、そういった感覚を家庭で身に付けてきた子ども達ですし、運動能力に優れた子も、スポ少で力を付けた場合がほとんどです。学力差だって、家庭の差が反映しているクラスがほとんどですよね。
逆に、こういった力を育むことが難しい家庭もありますよね。あっていいのですが、中には「常識」と思われることさえ身に付けさせることが出来ていない場合もあります。貧困率が高まるに従い、家庭教育力が低下していると感じている教師は多いでしょう。


わたしは、こういった家庭教育力の差は当然あるというのを認めた上で、それを利用し、家庭だけでは育たないレベルまで子ども達を育て上げたいと思っています。

また、家庭で身に付けさせて欲しいけれど、そうは言っていられない事については、学校で身に付けさせてあげなくちゃマズイんじゃないなと感じてきています。

例えば、挨拶とか、返事とか、鉛筆や箸の持ち方とか、人を殴っちゃいけないとか。そういう、今までは家庭での躾だと言われてきたけれど、近年はナカナカそうは言っていられない事、多くないですか?
箸の持ち方なんかは、学校で教えなかったら、「正しい持ち方がある」ということさえ知らない子も居ますよね。それに、挨拶は、人生を左右する可能性もあるくらい重要だと思うのです。
だから、こういったことが学校教育に組み込まれてくるのは、仕方ないと思っています。

一方で、躾と言われてはいるけれど、小学校でしか使わないような変な決まりもありますよね。
手を挙げる時は耳につけるとか、発表の後に「皆さん、イイですか?」と聞いて、他の子は「イイです」と答えるとか、席を立ったら椅子の右に立つとか。そういう学校の都合で決めたようなものは、サクッと切り捨てた方が子ども達は学びやすいと思います。こういう事が出来ていたのも、多くの場合、家庭教育力のおかげだったってことも、多いような気がするのです。


家庭教育力低下を補うために、学校が引き受けざるを得ないものと、家庭教育力のおかげで今までは機能してきたけれど、これからは無くした方が良いもの。この二つが混在したまま、「学習の躾」とか「学びの基本」とか「スタンダード」とかいった名前で蔓延っているように思います。

これらは明確に分けるべきだし、また、我々は家庭教育に頼っているのだという自覚が必要だと思います。
家庭教育力の差を乗り越えるには、差があることを認め、さらには、それを利用することが必要なんじゃないかなあ。そんな風に考えています。