『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

俺も学び続けなきゃなあ,という話。

西川先生のこの記事(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20130602/1370130888
を読み直しながら,わたしのこれまでとこれからについて考えていました。


授業について「この授業のこの学習は,何をすればうまくかなあ」と考えていた時期がありました。いつも良さそうなネタを探しては,飛びついていました。でも,そういうネタ勝負の授業なんて,ほとんどの場合は失敗しますよね。
こういう状態が「教材レベル」なのでしょう。これをレベル1とします。
レベル1だと,教材研究と言いながらワークシートを印刷して終わりということになったり,研究授業や授業参観では黒板に貼り付ける物がやたらと多くなったりします。
でも,本人としては一生懸命です。
授業の準備=教材の準備=物の準備。なのがレベル1なのかもしれません。「どうして主任のクラスでは上手くいっているのに,俺がまねすると駄目なんだろう」なんて悩んでいた20代。あの時期は,間違いなくレベル1でしたね。


次は「この授業は,どうやればいいのかなあ」と考えていた時期がありました。例えば「物語の授業とはどうあるべきか」なんていうように。これは指導方法に目が行き始めている状態=レベル2なのでしょう。
他にも「どんな流し方をすればよいかなあ」と考えて,モデルとなる授業の組み立てを作ろうとしていました。でも,教師の思う通りに授業が進んでいるように見える授業でも,流れに乗れずに遭難している児童を何人も生み出しているのかもしれません。
研究授業で「事前に想定していた通りに授業が進むかどうか」にこだわっていた時期でもありました。20代後半のこの時期が,わたしにとっての「レベル2」だったのでしょう。


わたしが児童理解について考え始めた=レベル3を意識し始めたのは,28歳くらい。師匠と仰ぐY先生とTTを組んで算数の授業をやっていた時に言われた,この言葉がきっかけでした。
「高橋さん,どうしてあの時,○○を指名しなかったの?小指がぴくっと動いたでしょ?あれは答えたかったんだと思うよ。でも,見逃して,自分で答えを言っちゃったね」
その時は,「児童の小指なんて見えないよ!」と思っていました。が,その後,気を付けて見るようにすると,分かるのです。「あ,この子は答えたいんだな」ということが。小指だけではなく,まゆ毛や口元でも分かる時がありました。
もっと腕を磨いて,一人ひとりに応じた指導をしなくてはいけないんだな。
そう思ったことが児童理解のスタートでした。


が,挫折しました。だって,全員を理解するなんて,どんなに頑張っても無理だったのです。どうしても「分かってあげられない」子が出てしまいました。
「自分は,駄目な教師なのだ」と落ち込みながら仕事をしていました。


その頃に出会ったのが『学び合い』でした。


西川先生のおかげで「全員を理解し,支援してあげられないのは,自分が駄目な教師だからじゃないのだ」ということが分かりました。さらには,自分の限界を認めることによって,自分が見捨てかけていた子どもを救うことができました。その時の感謝と感動は3年以上経った今も忘れていません。『学び合い』と西川先生には,本当に感謝しています。そして,わたしを『学び合い』へと導いて下さった先達の先生方にも。
子ども達全員を伸ばすことは可能なのだ!という見通しは,わたしの荒み気味だった暗い心に光をもたらしてくれました。


さらには,坂内さんのおかげで,子どもを集団として捉えることの重要性を知ることができました。
例えば,2年前,パナソニック教育財団の助成研究で,坂内さんの学級とわたしの学級をスカイプで繋いだ時のことです。
スカイプの映像と音声では,坂内さんの学級の子ども達が何をしていて何を話しているのかは分かりません。映像も音声も,それほど鮮明ではないからです。でも,確実に「すごい勉強をしている」ことは理解できました。坂内学級の持つオーラを,ネットを通してわたしもわたしのクラスの子ども達も感じ取ることができたのです。翌日から,わたしのクラスは変わりました。オーラを吸収したのです。
同時に,わたしに「学び成長する集団」かどうかを見極めようとする目が養われてきました。さらには,教師としての志も学ばせて頂きました。


忘れちゃいけないのは,わたしに「花」が見えているのは,自分の力だけによるものではないってことです。幸運だったとも言えます。古田さんの言葉を借りれば「全ては必然」なのかもしれません。努力の結果とも言えます。「見えるべくして,見えた!」なんて言っちゃうと,選民思想的で危険ですね。やめておきましょう。どちらにせよ,わたし一人の力ではありません。


もちろん,今の自分では満足できません。まだまだ感度を磨かなくちゃいけないし,わたしの目標は,坂内さんやY先生を超えること!師とは乗り越えるために存在するのですから,まだまだ満足には程遠い場所に,今の自分は居ます。


「学び続ける子どもの会」という素敵な出会いにも恵まれました。
これからも磨いていきます。