限界
集団の在り方は,管理者(トップ)の在り方で決まります。
学級の姿は,自分の姿の鏡です。
最近,学級の中で気になることがいくつかあります。それは一般的なクラスでは問題にもならないような(ほとんどの先生は「個」の問題としてしまうような)ことなのですが,でも,気になります。
自分でも「おお!俺もこういうことを個人の問題ではなく,学級全体の問題と捉えることができるようになったか。よしよし!これで次の一手を打てるな」と自画自賛しています。(誰も褒めてくれないので,自分で自分のことを褒めるようにしているのです。)
大したことではありません。
例えば,「A君の宿題の字が,最近,雑だなあ」というようなことです。
こういうのをA君個人の問題だと捉えるのではなく,学級全体の問題だと捉えることができるようになってきました。
と言っても,「A君の字が雑なのは,全体が悪い!連帯責任だ!」なんてわけではありません。わたしの指導の不備が,学級全体に緩慢な学習態度を生み,それがA君の文字に現れたのだと捉えるのです。
ですので,明日は「もっと力を伸ばすぞ!」という話をしようと思います。前向きな説教です。ノートの話もしないわけではありません。でも,メインではありません。大切なのは「学び,成長することができているか」です。一生懸命学び,力を伸ばしていこうとする中で,結果として,A君のノートも変わるでしょう。他の「気になること」も改善していくでしょう。
学級の在り様は,わたしの在り方が映し出されているのです。
逆に言うと,わたしが管理者ではない集団の「在り様」を変えるのは非常に難しいなあと感じます。
「隣の学級」というレベルでも非常に難しい。
「学校全体」となると更に難しいものを感じます。
「学校の教職員」となると・・・。
その中で出来る努力はしているつもりです。けれども,限界も感じます。