『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「いい人」と「いい同僚」と「いい上司」。そして,合同『学び合い』

「いい人だけど・・・。」
ということはよくあることです。あ,別に女の子に振られる話ではありませんよ。


「あの先生は,いい人だけど,でも学級経営や授業は,ちょっと許容できないなあ」ということです。よくありますよね?
そんな人でも,同僚として助け合うべきだと,わたしは思います。学校の先生は,基本的にみんな「いい人」です。(きっと,世の中のほとんどがいい人ですけどね)わたしは,そんないい人にとって「いい同僚」でありたい。まだ若く未熟だったわたしを教え,導いて下さった先輩方のように,困っている同僚がいたら声をかけ,可能な限り手を差し伸べたいと思います。


でも,同じような態度を学級の子ども達に求めることは出来ません。
「あの先生は,学級経営も授業も許容できないことが多いけど,いい人だから,助けてあげてね」
と子ども達に求めるわけにはいきません。だって,子ども達は,教師が「いい人」なのかどうかを授業や学級経営を通して判断しているのですから。そこが悪いなら「悪い人」です。
わたし達だって,管理職があまりにも無能で不誠実な仕事振りで,自分の仕事だけでなく家族の生活にも支障が出るほどだったら,「あの人は,管理職としては無能だけれど,いい人だから,助けてあげよう」とは言えないでしょう。(そういう上司に当たっていない人が羨ましい!!)


学習が成り立たない。授業がさっぱり分からない。
そういう教師は,子ども達にとって「悪い人」なのです。
そういう教師を指導できない,自分の責任だと思えない。
そういう管理職は,我々にとっても子ども達にとっても「悪い人」なのです。
どんなに「いい人」でも,「悪い人」です。


けれど,最初に書いたように,同僚は助けたい。
そうなった時に,大きな武器になるのは,合同『学び合い』です。ウチの学校ではまだまだスタートしたばかりですが,これはなかなか面白い。
正直なことを言えば,自分の学級に全力投球できるなら,その方が楽です。でも,そうは言えないような深刻な状況になった時,どうすれば良いのか。今までの経験から言うと,ほとんどの管理職も同僚も,そういった荒れた学級と,「(同僚としては)いい人だけど(先生としては)悪い人」に対しては無力です。もちろん,わたしも無力でした。


けれど,合同『学び合い』なら,他の学級の子ども達も救える可能性を感じます。
これまた正直に申しますと,今まではちょっと懐疑的でした。合同『学び合い』に対して。でも,これによって,今まで救えなかった「いい人だけど,悪い人」とその被害を被っている子ども達に,少しだけ光を分けてあげられるかもしれません。


ちなみに。
本当に思うのですが,学校の先生で,わたしほど「嫌な奴」をわたしは知りません。