『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

言語活動が子供達を苦しめる

カウンセリングと聞くと,わたしは「心の問題」とか「セラピー」のようなものを想像してしまうのですが,実際はそうじゃないらしいですね。欧米では,スクールカウンセラーの仕事は,悩み相談というよりも,学習支援。単位の取り方とか,進路のこととか,生活適応,特に人との付き合い方について,より良い方法を一緒に「開発する仕事」だという話を聞きました。(わたしの理解が間違ってるかもしれませんが)
やっぱり,学校での苦しみって,学習と対人関係が多いのは,国が違っても共通なのでしょうか。


さて。この学習と対人関係の苦しみと結びついているものとして,「言語活動」があるのではないかと,わたしは思っています。「言語活動の充実」が求められ,授業の中で「説明すること」「表現すること」が増えています。
今までの授業では,ただ聞いているだけの子がたくさんいました。じっと下を向いて耐えていた子や外をながめて時間をつぶしていた子です。目立たないように,ひっそりとしていました。
でも,「言語活動」はそういう子を表に出します。やってみせなくちゃいけない場面では,ひっそりとしていられません。ただ聞いているだけが許されないのが言語活動。でも,できない!
そういう子をフォローできるクラスなら,子供達は傷つきません。フォローできる名人教師か,はたまた,フォローできる人間関係があるクラスか。前者が多くないのは言わずもがな。でも,人間関係をしっかりと構築できる教師も,それほど多くありません。
そうなると,できない子は人前で「恥をさらす」事になります。これは,つらい!


みんなの前で,勉強ができない姿を見せる。


まさに,学習と対人関係の苦しみがダブルで襲ってきます。
きっと,教師を恨んでいます。
「お前の授業がへたなんだべした!」(福島弁です。だっぱい,だばい,だっぺ でも良いですけど)
と心の中で思っていますよ。


念のために言っておきますが,出来ない子がひっそりと目立たない授業が良い,と言っているわけではありません。


出来ない子をできるようにさせるのが,学校です。
というか,本来,「出来ないダメな子」なんていないんです。いるのは,「出来るようにさせられない,ダメ教師」だけです。
出来ない理由を,子供や家庭のせいにしたら,その瞬間から「給料ドロボー」です。


わたしのクラスが,完璧に誰でも何でも出来ているとは言えません。出来ないこともある。出来ない子もいる。
居ていいんです。だからこそ,核を定めて,繰り返し取り組むのです。
逆に言うと,優れた教師は,大切なものをしっかりと持っていて,軸がぶれないのです。


場当たり的な「思いつき」「つまみ食い」の活動的な学習は,少なくない子供達を苦しめるのだということを,自覚して欲しいなあと思います。
苦しみが限度を超えると,子供達の逆襲が始まりますから。






※念のために付け加えます。
もちろん,言語活動は重要です。
ふらふらした言語活動が問題なのです。
だから言うでしょう?
「単元を貫く言語活動」って。本当は,年間を貫かなくちゃいけないし,それどころか,他教科も貫くのが,インタラクティブ・カリキュラムなんです。