『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

分かる人には分かる。

人を傷つけたくて傷つける子はいません。
暴れたくて暴れている子もいません。
いじめたくていじめている子もいません。


そういう行動をする子は,「その子の外」に必ず原因があります。「仕方なくそうしている」のです。
じゃあ,どうして学校の中に,人を傷つけたり,暴れたり,いじめたりする子がいるのでしょう。


それは,学校が「その子がそういう行動をするところまで,追い詰めているから」です。
そういう子は苦しいのです。


子供達は,学校から逃れられないと思って生きています。「学校が嫌だから休む」という選択肢を選ぶことは容易ではないと思いこんでいます。その逃れられない(と思いこんでいる)場所が苦しくて苦しくて堪らなくて,もう我慢ができないから,暴れているのです。
暴れることで,自分を苦しめている集団のアウトサイダーとなることができます。そうなると,とたんに気分が楽になります。集団にフィット出来ないというのは,非常につらいものですから,そのストレスから解放されるのです。
そうしなきゃいられないくらい辛いのです。



問題の本質は「人を傷つけたり,暴れたり,いじめたりする子は被害者であり,加害者はではない」ということにあります。


少なくともわたしは今まで,その子の家庭環境や発達障害が原因で人を傷つけたり,暴れたり,いじめたりしている子を見たことはありません。そういう子がいる学級は,大抵の子供達が苦しんでいます。みんなが我慢しています。忍耐の許容量には個人差がありますから,許容量が少ない子から「爆発」します。
許容量の少ない「爆発しやすいタイプ」の子がいることは否定しません。けれど,そういう子をことさら問題視していると,問題の本質を見誤ります。
繰り返しになりますが,人を傷つけたり,暴れたり,いじめたりする子」は被害者であり,加害者はではないのです。そして,その他にも目立ってはいないけれど,苦しんでいる「目立たない被害者」がいるのです。そういう子もいつ許容量を超えるか分かりません。



じゃあ,誰が加害者なのでしょう。
そんなことは書かなくても,分かる人には分かります。
が,分からない人は分かりません。ですから,書きません。