『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

深い読み

6年生の国語の教科書に「海のいのち」(立松和平 著)という作品があります。小学校国語の定番作品の一つと言えるでしょう。
わたしは6年生担任6回目で,「海のいのち」を授業で扱うのも6回目ですが,毎回,子供達の読みは変化しています。その年によって,読み取ることが違うのです。
それは何故かと言うと,担任であるわたしの読みが,毎年少しずつ変わっているからです。わたしが考えていること,読み取ったことが子供達に反映しているのを感じます。
「児童の理解は,教師の教材研究の深さに比例する。」
という言葉を聞いたことがありますが,それはまあまあ正しいのだと思います。
ちなみに,わたしのクラスの子供達が,今日の授業で山場の場面について話し合っていたことやノートに書いていたことは,おおよそ次のような内容です。
「太一の夢は,父を超える漁師になることである。初めは,父を破った瀬の主を倒すことで父を超えようと考えていた。しかし,実際に瀬の主を前にした時,父の『海のめぐみだからなあ』や与吉じいさの『千びきに一ぴきでいいんだ』の教えを思い出した。生きるために魚をとるのが一人前の漁師であり,父を超えるという自分の都合で魚をとってしまっては,本物の漁師ではなくなってしまう。しかし,長年追い求めてきたクエを前にして,簡単にはあきらめられない。泣きそうになるくらいにとりたい。太一の心は揺れ動いた。けれど,笑顔を作り,『おとう』と呼びかけることで,『殺さないで済んだ』のだ。
 しかも,父は瀬の主を前にし,戦いを挑んで負けている。父は,『海のいのち』である巨大なクエに挑まずにはいられなかった。太一は,クエを殺さなかったことで,父を超えることができた。」
こういう読みを「深い読み」と言っていいと思います。(「ウチの子供達はもっと深い読みをしたよ!」という方もいるかと思います。是非,色々と教えて下さい!)
こういう授業,わたしは好きです。好きだから,こういう読みをさせたんですけれど。


でもね。
こういう方向にばっかり授業が進んでいくのは危険なのです。
こういう方向の授業にフィットできる子は楽しめます。今日もめちゃくちゃ楽しそうに学んでいる子がいました。それはそれは楽しそうな様子で,脳味噌がスパークして,汗をかきながら学んでいました。
でも,その逆に「よく分らん」という子も出るのです。授業が盛り上がっている中で,ついていけない子も出るのです。今日もいました。


めちゃくちゃ楽しそうな子と,楽しめていない子をどう融合していくのか。
それをおろそかにすると,大変なことになります。今日の授業は,わたしは「出過ぎ」でした。教師の出す光が当たる子は輝きます。でも,光が強ければ,その分濃い影も生まれるのです。


そして,残念ながら,教師には光と影を融合させる力はありません。輝いている子が動き,乱反射して教師には見えないくらいじゃないと,影が消せないのです。


スーパー教師なら,超強力な光線で,全ての子供を輝かせることができるはずだ!と考えていたこともあります。そんな教師になれるなら,なりたいです。が,そんな勘違いは,濃い影を生むだけです。


「深い読み」の授業は楽しいです。けれど,その危険性を理解しておかなければいけません。
という自戒のエントリーでした。