『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

これから

前々から感じてはいたけれど、最近になって痛感しているのは、わたしは「孤立した働き方が好き」ということです。
わたしは、一人で踏ん張りながら仕事をしています。「人に聞く」「人に頼む」というのが苦手です。(だからこそ、子供達には上手に頼める人になって欲しいいんですけど)
ですので、孤軍奮闘しても何とか倒れないためのノウハウはたっぷり持っています。
念のため書いておきますが、周囲との繋がりがゼロだというわけではありません。それでは人間、生きていけません。
特に、若い頃は様々なことを先輩方から教えて頂きました。今だって、同僚の先生方にいっぱい助けて頂いています。恩返しもしているつもりです。保護者の皆さんにも助けて頂いています。
そして、「誰かに認めて欲しい」という気持ちはあります。責められるより、褒められたいですしね。
けれど、「助け合う」というのと、「理解し合う」というのは別です。理解できない人でも助けます。大人ですから。
同時に、「みんなに分かって欲しい」というより「分かる人だけ分かれば良い」という気持ちが強くあります。「そう簡単に理解されたくない」という気持ちもあります。


そういう我が儘なわたしなので、身近な人に自分の考えを伝えることが、メチャクチャ下手糞なのです。
お話にならないくらい下手糞です。
今まで何度も、頑張って伝えようと努力してきたのですが、なかなか伝わりませんでした。これは、わたしのせいなのです。だって、下手なんだもん。


でもまあ、わたし以上に「孤立オーラ」を放っている人も居るので(「ば」の付く人とか、「ふ」の付く人とかネ)、孤立はしていても孤独感はないのですが。


じゃあ、そういうわたしが、これから頑張ることべきことって、どんなことなのでしょう。
もっと人と繋がれるように柔らかい人間になって、身近な人に伝えられるようにしなくっちゃ!
そんな風に考えることもあるのだけれど。


でも最近は、わたしと同じような「孤軍奮闘タイプ」の若者のために、自分のノウハウをまとめたいなあと考えることが増えています。
きっと居ると思うんですよね、日本のどこかに。
自分が完璧だとは思っていない。でも、周囲と同じことをしても「何か違う!?」と感じてしまう。寂しいんだけれど、馴れ合えない。
そういう、はぐれメタルみたいな人が。


居るかなあ。いや、あんまり居ないかなあ。どうだろう。