『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

イロハのハ

子供達の今だけではなく,将来を見据えて愛すること。
その愛をもとに,信頼関係を築くこと。
この二つができたら,次に必要なのは「握って,放すこと」だと考えています。


「握る」というのは,「学級の中に教師の考えを理解してくれるコアメンバーが居る」ということです。学級の中に,1名か2名くらいは,教師と相性の良い子がいるはずです。そんなにピッタリである必要はありません。相対的に相性が良ければいいのです。
教師が「こういうクラスにしよう!」と言った時,それが「イロハのイ」で書いたような愛に裏打ちされたものであれば,絶対に理解してくれる子がいるはずです。理解してくれる子がいなければ,それは,その愛が教師の独りよがりだということです。少なくとも,その子供集団にとっては,余計なお世話レベルだと判断されたということ。普通なら,共感してくれる子がいなければおかしいのです。そして,そういう子がいる状況なら,「そういうクラスを目指して,みんなで頑張ってごらん」と任せることができます。


逆に言うと,教師に愛がなく,子供達からの信頼も得ていない状況では,「みんなで頑張ってごらん」なんて言っても,集団はさっぱり動かないでしょう。学び合いなんて,絶対に無理です。手綱を放せばトラブルが起きるだけです。
子供達に任せれば,何でも上手くいくなんてわけがありません。


わたしは,「間口が狭くて,奥が広い授業」という表現をすることもあります。
「子供達が勉強しやすいように」と間口を広げ過ぎると授業で大失敗します。例えば,国語の読み取りで
「どんな感想でもいいんだよ」「好きに読んでごらん」
なんてことを言っていながら,「正解」に向けて子供達を誘導しようとしてしまう授業を見たことがあります。手綱をがっちりと握って,コントロールしようとするのです。
そんことをするよりも,
「今日は,このことを読むよ」「こういうことに注意して読んでごらん」
と間口を狭めることで,教師のコントロールを離れて,子供達は深く深く読み進めていけるようになるのです。時には,教師の思惑を超えるくらいに。


愛が深く,子供達からの信頼も厚くて,しっかりと握っているのに,放すことができない先生を見たことがあります。こういう先生が学び合い型の授業に進んだら,きっと素晴らしいクラスになるのになあ,と惜しくなります。
また,握れていないのに放す教師を見た事もあります。これは,非常に危険だと思います。簡単に言うと,「無責任」。
「お前たちの好きにしなさい」
と子供達に委ねてしまうのは,非常に危険です。
わたしは,子供達に任せますが,委ねません。結果を出すことを求めます。そして,結果が出なくても,ちょっとやそっとじゃ揺らぎません。「大丈夫,またトライしよう!」と言えるようになってきました。(以前は言えませんでした)
また,以前「教師としての責任を果たしていない」と批判されたことがあるのですが,その人は,「握る」ことの重要さを分かっていないのでしょう。


子供達をしっかりと握ること。
そして,握っているからこそ,信じて任せて,放せること。


そこまでできれば,教師としての土台ができてくるかな。


わたしはそう考えています。