『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

そんなに変わっていない

先日,新聞で「人前で化粧をする女性が増えてきたというのは,最近の話ではない」ということを知りました。ちょっと引用します。


『驚いたことに、1935年6月の本紙にあった。電車や人混みで顔をはたき口紅を塗る女性をよく見かけるが、感心しない、人の見ない場所でしなさい、と。実は戦前すでに珍しいことではなく、年長者は眉をひそめていたらしい』(朝日新聞天声人語」11月12日  より)


これを読んで,少々の驚きがあると同時に,「やっぱりな」という気持ちもありました。


「最近の日本人は変わった」という言葉に,わたしは懐疑的です。
また,「最近の子供達は変わった」という言葉はほとんど信じていません。以前は,そんな風に思っていたこともあったのですが,近頃のわたしは「そんなに変わっていないんじゃないか」と考えています。
全く変わっていないとは思っていません。体力が落ちたとか,睡眠時間が減ったとか,体格がよくなったとか,転ぶ時に顔を打つようになったとか,平均値を比べれば多少の変化はあるのだとは思います。
けれど,人間の本質は,そんなに変わっていないだろうと思うのです。


例えば,
「最近の子供達の行動は,ゲームの悪影響が大きい」
という話を先生方がしているのを聞いたことがあります。ま,よくある話ですよね。
そういう話では,「ゲーム脳」とか「命を軽んじる」とか「リセットできると思っている」とか「友達との会話がない」といった話が出てきます。「だから,今の子供達は駄目なんだ」とでも言いたいような口ぶり。


けれど,「ちょっと待てよ」と思うのです。
「昔,子供だった人達」に話を聞くと「カエルに爆竹を差し込み爆発させた」とか「トンボの羽をむしり取った」とか「蟻を潰した」なんて話はよく聞きます。それって,命を軽んじていないのでしょうか。昔の子供は,本当に命を大切にしていたのでしょうか。
また,明治や大正の時代に,貸し本屋が営業を始めた時には
「小説なんて読むようになって,これで日本人は馬鹿になる」
という批判が出たという話を聞いたことがあります。その後も,ラジオが普及すればラジオが,漫画が広まれば漫画が悪者にされたのでしょう。その後も,テレビにビデオ,ゲームと様々なものが批判されたと想像されます。最近では
「テレビ番組のテロップが,日本人を馬鹿にした」
なんて話を聞いて笑ってしまいました。だったら,テロップのないテレビ番組を見れば賢くなるとでも言いたいのでしょうか。


わたしは,ゲームが子供達に良い影響を与える,と言いたいわけではありません。昔から子供達は様々なものから色々な影響を受けてきたのだし,それは良いものもあれば悪いものもあった,と言いたいのです。また,子供に限らず全ての人間には残酷な面もあるし,好ましくない一面もあるものだと言いたいのです。天使や神様のような完璧な人間なんて居ませんよね。
そして,当然ながら人間が完璧じゃないのは,はるか昔から変わらないことです。人前で化粧をする女性が戦前から居たのと同じようにね。


「ゲーム」が登場してから,すでに何十年も経っています。任天堂ファミコンを発売してから30年くらいですかね。ゲームが子供達に悪影響を与えているにしても,もうそんなこと言い訳にしてちゃ駄目じゃないかなあ。


ちなみに,わたしが「変わっていない」と思うのは,人間とは繋がりたいし繋がれるということであり,学ぶことは楽しいということであり,誰だって幸せになりたいということです。そういう本質は,昔も今もそんなに変わっていないんじゃないかなあ。