『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

学び合わなくても良い

『学び合い』というネーミングに対しては,賛否両論あるようですが,わたしは好きです。シンプルで。
でも,誤解しないで頂きたいのは,『学び合い』とは「学び合うことが大切だ」という意味ではありません。
「子供達が学び合う」という時,多くの教師がイメージするのは,「一部の“出来る子”がどんどん教える」という姿です。いわゆる「ミニ先生」の延長のようなもの。けれど,これでは,いつの日か学び合うことが嫌になります。教える側の負担は増し,教わる側は自己肯定感が下がったり,学習意欲が下がったりするからです。
こういった姿を指して「学び合う学習なんてダメだ」という批判をする人もいるでしょう。その通りです。「学び合うことが大切だから,学び合いなさい!」という授業は,わたしは大反対です。わたしが言うところの「助け合い型『学び合い』」です。


本当の意味で「学び合う」というのは,そういう授業ではないと考えています。
課題を達成しようとする時に,ほとんどの人間が取る作戦が「学び合うこと」です。「学び合う能力」は(ほぼ)全ての人間が有しているし,最も効率的だからです。
学び合うことが大切だから学び合うのではなく,それが効率的だからそれを活用して学習するのです。
ただ,学び合う能力は,もともとは「数名」が限度です。けれど,それを教育の力によって学級全体・学校全体へと広げることができます。逆に言うと,学校の役割は,学び合う対象を広げることにあると言えるのではないでしょうか。
これって,『学び合い』だからというわけではなく,教育というものは,はるか昔からそういった役割を担ってきたんじゃないかと予想しています。大きな仕事を成し遂げた人は,それだけ多くの人を「仲間」と認識できる人だったんじゃないか。そういう人が知的な人だったんじゃないか。そんな風に考えているのです。こういうことをちゃんと研究してみたいという欲求はちょっとあるのですが,今のところ,教室において実践人でありたいという気持ちが勝っていますけれど。


話を戻します。
学び合う対象が4〜5人から学級全体へと広がっていくと,「合わない人」が出てきます。人と人ですから,当然です。わたしなんて,今まで同僚の中で「考えを共有できた人」なんて数えるほどです。合わない人がほとんどです。
そういう人と無理やり合わせて学び合うことは,非効率的です。(だから,最初は気の合う4〜5人と学び合うことをえらぶのです。)
合わない人とは,距離をとって良いのです。ただし,繋がりを切ってはいけません。
お互いにぶつかり合わない距離を保っておきながら,課題解決に向けて活動をしていく中で,時として接点を持つこともある。接点とは,直接話をすることだけではなく,人を介して間接的に繋がることだってあるでしょう。例えば,AさんとBさんは相性が悪くてあまり話をしないけれど,AさんがCさんに説明し,それをCさんがBさんに説明する,なんてことはあるはずです。
そこでAさんは
「わたしが考えたことなんだから,Bさんには教えないで!」
なんて言わずに,どうぞどうぞと言えればいいのです。大人の対応ってやつですね。このように大人の対応をすることで,AさんとBさんは気は合わないけれど間接的に学び合うことができるようになります。それでいいのです。
逆の対応が
「Bさんとはしゃべらないで!」
と周囲を巻き込んで関係性を断とうとするパターン。これ,ありがちですよね。仲間は数人,後は敵!という認識の子は,こういう行動をとってしまうこともあるでしょう。仲間を増やすことが自分のメリットになると知らないのですから,仕方ありません。


繰り返しになりますが,そういう行動をとってしまうAさんやBさんに
「喧嘩をしてはいけません。仲良く学び合いましょう!」
と言うのは,『学び合い』ではないと考えます。
AさんやBさんの適切な距離感は,当人が決めれば良い。ただし,みんながゴールに近付いていくために,自分が貢献できるようにする義務は負うのです。
「大切なのは結果。結果を出せる関係が良い関係。結果を出せる関係とはどういうものか。それを体験的に学んでいくのが学校」
それがわたしの考える正しい関係づくりであり,目指す学級の姿であり,本当の『学び合い』なのだと思っています。