『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

大きな目標を具体化する

前回のつづきです。
学校に氾濫する「目標」。
「手をあげる時は、うでをピンとのばし、耳につけましょう」といったレベルから、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるととも に,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」といったものまで色々あります。(前者は子供に、後者は教師に向けた言葉という違いはありますが。)


前者のような「小さな目標」は、教師も子供達も具体的にイメージしやすいものです。守れるかどうかは別にして、守れているか・守れていないかをはっきりさせることも容易です。しかし、後者を子供達にイメージさせるのは難しいでしょう。
その結果、学校には教師にも子供にもイメージしやすい、「簡単な目標」が溢れているのでしょう。「基礎・基本」という名を借りて。


でも、そんなことをいくら指導しても、子供達は成長しません。「挙げた手が耳についているかどうか」は発表内容に関係しませんから。まあ、教師の言うことをちゃんと守れる「良い子」は、それなりの発表ができる場合が多いでしょうけれど。(その結果、「オリコウサン」ばかりを求める教師も多いですね。)
小さな目標しか示さない人の場合、増々小さな目標を集めることで、子供達をコントロールしようとします。
「大きな声で返事をしよう」「いすの右側に立って、いすをしまおう」「話し方のきまりを守って発表しよう」なんて感じに。そして「こういう基礎・基本が守れていないから、学力が上がらないんだ」と主張します。
けれど、「やるべきこと」を100個集めても、子供達はやっぱり成長しません。教育力の高い家庭で育った素直でお利口な子が守れるだけで、ほとんどの子には無理です。そして、そんな指導に時間を費やしているのですから、家庭教育力の下支えの少ない子は、どんどん蚊帳の外に追いやられていきます。


教師に求められるのは、抽象的に見える目標を具体化し、児童がイメージできるようにすることです。
極端な言い方をすれば、子供達自身がやるべきことを100個見つけられるようにしてあげることが、教師の仕事です。
(100個というのは、レトリックですよ。)
子供達は自ら見つけた100個の中から、やるべきことを取捨選択したり、補い合ったりしながら、成長していくことができます。


まとめましょう。
教師がやるべきことは、子供達に100個の「やるべきこと」=小さな目標を示すことではありません。
子供達が具体的に、100個の「やるべきこと」が浮かぶような大きな目標を示すことです。
教師の腕が上がれば上がるほど、大きな目標でも、子供達がイメージできるようになります。そこに教師としての修行の一つがあるのでしょう。


まずい、わたしが具体的に言えていない^^;