実名を出した上でこういうことを書くのは、非常に「重い」のですが、でも、わたしにとっては必要なことなので。
わたしは教師ですから、「見捨てる側の苦悩」もよく分かります。個人で解決できる問題ではないこともよく分かっています。また、「自分なりに頑張っていて、見捨てているつもりなんてない」人がいることも分かっています。
ですから、「見捨てられている子がいる状態」に対して、特定の誰かを責めるつもりはありません。
でも、「見捨てられている子」の辛さもよく分かります。
そして、「見捨てられている子の親」の苦悩もよく分かります。
根本的な解決をするには、新しい学校像が広がり、日本の教育システムを変えていくことが必要なのかもしれません。
でも、それでは我が子に届きません。
対処療法的でも、即効性の強い作戦が必要なのです。
だからわたしは、「嫌な存在」になろうと思っています。
「高橋の前では、変なことは言えないぞ」「高橋の前では、下手な授業はできないぞ」「高橋が見てるから、緊張するな」と言われるようになりたい。
しかし、わたしはニコニコと笑って、「大丈夫ですよ」と言っている。「何かお困りのことはないですか」と笑っている。で、実際に困っていたら、全力で助ける。
頼りにされるけれども、でも、どこかでプレッシャーをかける存在。
そういう人になりたいのです。
子供を指導する立場の人には、もっと、子供達の心に敏感になって欲しいと切に願います。
私自身も、もっともっと自分の感度を上げると共に、一人ではクラス全員の心を受け止められないということを自覚していく必要があるでしょう。
だからこそ、お互いに受け止め合えるクラスを作っていくことが、教師の仕事であり、その重要性を示していくことを、これからのわたしの使命としていきます。