『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

学習する意義

授業の中で子供達が学ぶことって、大きく2つあると思っています。
一つは、知識や技能。例えば、漢字を正しく書く、計算を正しく行う、日本国憲法の3つの原則とは何かを知る、鉄棒で逆上がりができる、といったこと。
様々な知識や技能を学校で学習します。でも、「絶対にこれって学ばなくちゃ駄目なの!?」と聞かれると、ちょっと言葉に詰まります。
漢字→辞書やパソコンがあるじゃん!
計算→計算機があるじゃん!
日本国憲法の3つの原則→知らなくても生きていけるじゃん!
逆上がり→できなくても生きていけるじゃん!
っていう具合に。
「でもね、漢字が書けなかったら、ラブレターを書く時に困るよ」
「計算機はいつでもあるわけじゃないよね」
日本国憲法のことが分かっていないと、大人になった時に、政治に参加できないよ」
「将来、子どもが生まれた時に、逆上がりを教えてあげられないよ」
なんて言って無理やり学ぶ意義づけをすることも可能ですが、でも、それって絶対にないことだとは言わないけれど、でも、かなり嘘臭い言い分ですよね。(と言いつつ、わたしも言ったことあるけれど。反省です。)
もちろん、漢字を覚えておいた方が良い仕事もあります。計算ができた方が良い場面もあります。だから、「こんな物は学ぶ必要はない」と言えません。
でも、「将来、使う場合もある」ということは、「使わない人もいる」ということです。
それなのに無理やりこじつけて理由付しても、動かない子も多いし、「そんな言葉に乗ってたまるか」って子も少なくないでしょうね。こんなことばっかりを言い過ぎたら、信頼感を損ないます。


でも、わたし自身は学校での勉強に意味がないとは思っていません。
むしろ、勉強はめちゃくちゃ大切だと思っています。
それは、授業の中で学ぶもう一つのこと=「学び方」を勉強すること、がとってもとっても大切だと思っているからです。
「学び方」というのは、「どうやったら自分を成長させることができるのか」という方法のことです。
分からないことがあったらどうするのか。
できないことがあったらどうするのか。
失敗した時、どうするのか。
諦めたくなった時は?


子供達は、様々な知識や技能を学ぶ中で、様々なシチュエーションを経験することになります。それによって、どう振舞うことで自分が成長できるのかを学ぶことができるのです。
さらには、それを通して、出来るようになったり、壁を乗り越えたりしたらどれほど楽しいのか。人のために役に立つことが、どれほど自分自身に意味のあることなのか。そういったことも勉強できます。
(これを、関心意欲態度とか、思考力・判断力・表現力とか呼んでいる、とも解釈できますけど、まだしっくりこないんですよね。)


わたしは、『学び合い』によって学んでいるのは、知識や技能よりも、こっちの学び方の比重が大きいんじゃないかと思っています。
3年前、わたしの学級と坂内さんの学級をSkypeで繋いで授業参観をさせてもらったことがあります。その時、我がクラスの子供達はSkypeを通して、坂内学級の凄さを感じ取って、自分達の学習をレベルアップさせることができました。
Skypeの映像は、イマイチ不鮮明で音声もとぎれとぎれです。でも、感じ取れたのです。それは、話している内容からではなく、立ち振る舞いや学ぶ姿=学び方から学んだのでしょう。
わたしは、そういう学びを「オーラを吸収する」と言っています。


教師の立ち振る舞いや学ぶ姿から、オーラを吸収できる児童もいるでしょう。でも、それって極一部の子なんだろうな、と思います。教師の真似ができる子なんて、少数派ですよ。
その少数の子が多数の子にオーラを伝え、そして、学級全体のオーラが、最後までなかなか学習に向かえずにいる子も巻き込んで、学ぶ姿へと変えていくのです。


そうやって、全ての子供達が「自分を成長させる学び方」を身に付けることができることに、学校で勉強する意義があるのだと思います。知識や技術は家庭でも、家庭教師でも教えられますが、他者のオーラは家庭では吸収できないでしょう?
そうやって、人間的な成長を遂げていくんだと確信しています。


学術的な根拠はありませんけれど(笑)。