『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

結果を求める

管理者としての視点を持つ上で、わたしが心がけていることの第一は「方法ではなく、結果を求める」ということです。
これって、言葉にするのは簡単ですが、実践できるようになるまでは、非常に難しかったなあ!


今考えると、わたしが『学び合い』を始めた当初は、子供達を特定の方法でガチガチに縛っていました。それは、多分、わたしの中に「わたしが求める方法でやれば、結果が出る」という捕らわれがあったからです。ちなみに、今でも自分が一番好きな教科である国語科では、なかなか自分の方法を手放せません。


今のところ、一番手放せているのは、社会科かなと思います。
算数科も、自分が算数をそんなに好きじゃないので、躊躇なく自分の方法を手放せます。
「俺の例示する方法じゃなくてもいいから、結果さえ出してくれればいいよ」
というスタンスで居られるのです。
これが国語科だと
「俺の例示する方法じゃなくてもいいんだけど、ちょっと試してみてよ。悪いこと言わないから。ね?ね?やってみて?」
という感じになってしまうのです。


でも、一度こだわりを捨てることができれば、ある程度の知識を持っている国語科の授業がやっぱりやりやすいし、結果も出させやすいです。なので、今年度のクラスで全員100点を達成できたのが、国語科だったのでしょう。ちなみに、社会科も、3学期のテスト4枚?の平均は95点程度でしたが、残念ながらあと一歩で全員100点は達成できませんでした。
これって不思議なんですけれど、テストの点数なんてどうでも良いと強く思ってからの方が、点数が上がったんですよね。「どうでも良い」って語弊があるかもしれませんが、でも、テストの点数って学習の目的にはならないでしょう?テストのために勉強するって、あり得ない。
「テストで100点取ったら、ゲーム買ってもらえる」
なんて子も居るかもしれませんが、それだと目的は「ゲームを手に入れること」です。
「テストで100点取ったら嬉しい」
なんて場合は、「達成感」が目的なのでしょう。
他にも、進学だったり、就職だったり。
100点に価値があるわけじゃないんです。テストの点数なんて、一生懸命に勉強して、分かったら教えて、分からなかったら聞いていると、結果として着いてくるものです。
「100点を取ることが課せられているクラス」は息苦しくて嫌になりそう。そういうクラスじゃ学べません。それより、結果として力が伸びているクラスがいいなあ。ちなみに、わたしが「良いクラスなんだろうなあ」と感じるクラスとして、このクラスが御座いました。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/daitouiruka/
イルカさんのブログを読んで、「楽しそうに100点を取るクラスのイメージ」を得たことで、わたしの捕らわれを1枚脱ぐことができました。
昨夏のフォーラムでお会いするチャンスがあったようなのに、逃してしまったのが残念・・・。


「100点取れ!」と言われても、子供達は取れません。
頑張りを点数に結びつけるためには、教師の腕が必要です。
その上で、教師の手の届かない子を不幸にしないためには、集団の力が必要です。


あれ?話が支離滅裂。
やっぱり、まだ、わたしの頭の中が贅肉だらけで上手く整理できていません。
またそのうち、ちゃんと説明できるか挑戦だ!