『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

自分の価値観と世の中の価値観

夏休みが終わったので、そろそろブログも再開したいと思います。





さて、最近、考えていることがあります。
それは、「自分の価値観を信じすぎない」ということです。このブログやみゆき会といった場で発信して行く中で、わたしは、自分の勉強不足を痛感していますし、それを分かるためにも発信は大切だと感じているのですが、「勉強」の中身が、以前と最近では大きく変わってきました。
以前は、「勉強して、自分の価値観を磨こう」と考えていました。「わたしはこう思う。わたしはこうしている。」というのを大きく打ち出せるようになりたいと強く願っていた時期もあります。
最近は、「勉強して、これが正しいとされている物、曖昧な物を理解したい」と考えています。


というのも、教育の世界では、「わたしはこう思う」「わたしはこうしている」といった自分の価値観ばかりが振り回されているように感じるからです。自分の価値観というのは、結局は「好き嫌い」ですから、好みが合わない人とは分かり合えないだろうと思うのです。
例えば、「テストの点数なんてどうでもいいんだよ。」という発言。これは、「どうでもいい」と思っているのは教師自身でしょうか。世の中でしょうか。
他にも、「手を挙げる時はピンと腕を伸ばして耳につける」というきまり。これが大切だと思っているのは、教師?世の中全体?
○○が大切。○○が必要。
こういったことが山ほど学校に持ち込まれていますが、どれもこれも、「〜とわたしは思う」というレベルのものばかりです。どんな役職についている偉い人だって、私たちと平等なのですから、「個人的な経験に基づく個人的な価値観」なんてそれほど重みはないでしょう。役職が上だから何となく大切そうに扱われますが、でも、人の行動を変えるほどの力は無いと感じます。例えば、山ほどある「通知・通達」が一例です。
わたしが言う「世の中の価値観」というのは、「偉い人が言っている」「多くの人が言っている」というレベルではなく、例えば、「法律」として決められているようなものです。また、西川先生の影響もあり「学術的な根拠」というものにも興味が出てきました。



このわたしの発言だって、「わたしはこう感じる」という自分の価値観に過ぎません。まあ、ブログ程度だからそれで良いとも思いますが、でも、「ブログ程度」を超えて発信出来る教師になりたいと考えたとき、自分があまりに「作法」を知らないことに愕然とします。
「教師○○人を対象に調査したところ、自分の価値観を優先する傾向にある教師は○%、世の中の価値観を優先する傾向にある教師は○%。教師は自分の価値観を優先する傾向が強い」と言うには、どれくらいの人数を対象にどんな調査をすればいいのかなあ。
「この教育実践には効果があった」と言うのは、どんなデータが必要なのかなあ。
こう学術的な作法が分かるようになって、わたしも「自分の価値観だけの世界」から抜け出せるようになりたいと考えています。


学術的な作法は分からなくても、少なくとも、わたしは教育法規を学んで教師になったわけですから、法に規定された価値観はもう少し理解しておきたいと思います。教育法規といっても膨大です。わたしは管理職になる気はゼロなので管理に関わるものやら運営規則やらにはあんまり興味がありません。法的拘束力を持つものとして、学習指導要領はもう少し読まないとまずいですね。あとは何を学べば良いかなあ。
少なくとも、「自分の価値観」と「世の中の価値感」を区別して発信しないとね。
そんなことを考えています。


というと、「自分の価値観が大切」と考えているであろう多くの方は「????」でしょうから、次回は「なぜ世の中の価値観が大切なのか」を書きたいと思います。少なくとも、『学び合い』の考え方を体現する上では、世の中の価値観を理解するって必須だと思っています。←と書いて、興味を引く作戦(笑)