『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

担任の仕事

わたしは、学級担任の仕事とは「学級の管理」であると考えています。
って書くと、「管理主義の嫌な教師」がイメージされそうですが、それは「嫌な管理の仕方」が学校で幅を利かせてきたからかもしれません。
でも、そういうイメージが世の中にあるのだとしたら、結構昔から、学級担任の仕事とは学級の管理である、という考え方が存在した証拠とも言えるでしょう。


では、担任が学級の管理者であるとするならば、どうやって集団を管理すべきなのでしょうか。
一般的にイメージされるのは、「集団を細かくチェックし、良い所は褒め、悪い所を叱る」なんて方法でしょうか。もしくは、「足りない所は教師が教え、出来ることは任せる」なんて方法も考えられますね。方法は無限にあります。ですから、多様な方法が認められる方が良いと思うのですが、わたしが学級を管理する上で、これだけは絶対に必須だ!と思うことがあります。


それは、学級の理想の姿を想い描き、夢を語ること。そして、それを実現することが、どれほど素晴らしいことなのかを、子供達に語ること。です。


これこそが、教師の仕事だと思っています。西川先生の言葉を借りて言うと、「上級管理職」の視点で仕事をするということですね。
といっても、教師がどんな素晴らしい理想や夢を語っても、子供達全員が同じ夢を見てくれるはずがありません。全員なんて無理だし、むしろ気持ち悪い!
全員ではなくて、2割の子供の心に響き、6割が「悪くないな」程度に賛同し、2割が「周りが良いって言うなら仕方ないか」程度に許容してくれれば、集団が夢の実現に向けて動き出すと思っています。逆に言うと、2割の子供を動かせないと、集団を動かすことは無理だろうと思います。(この理論も『学び合い』で知ったことです。)
というわけで、わたしは日々、集団を管理するために、2割以上の子供達が動いてくれるようにと願いながら、理想や夢を語っています。


では、2割の子供を動かすためには、何が必要なのでしょうか。
わたしはそれは、教師の技術ではなく、「信念」だと思っています。
口先で巧く誤魔化そうとしても、いつかは子供達に絶対にばれます。教師が描く理想の学級や夢の実現を信じてもらうには、何度も語れることが必要でしょう。そして、その言葉と実際の授業が矛盾していないことが大切です。何度も語れること・語りの内容と授業とが矛盾していないこと。この二つが出来れば、わたしは「信念がある」状態なんじゃないかと考えています。
そして、その語りや行っている授業の中に、教師の「在り方」が映るのだろう、と思うのです。
「在り方」は難しいとよく言われます。「在り方」が非常に難しいのは、教師が語る理想や夢を日々の授業と一致させることが難しいからでしょう。
また、
「在り方と言われると苦しくなる。」
そう批判されたこともあります。苦しくなる人は、わたしの言葉で苦しくなっているのと同時に、子供達の前で語っていることを授業として具現化できていないから苦しいのではないでしょうか。
けれど、そこに目をつぶると2割の子供達に見限られると思うから、批判されても、歯を食いしばって「在り方は大切だ」と言います。
わたしだって、そんなに強い人間ではありません。思うことを言葉にし、可視化していかないと楽な方に流れたくなってしまいます。しかも少数派ですから。味方が少ない中で、自分の信念を保ち、在り方をぶらさないのはそこそこシンドイものがあります。


みゆき会の3人がよく語ることは、「学び続ける」です。この短いフレーズに込められた我々の想いを授業として具現化すると、「インタラクティブ・カリキュラム」になります。縦横無尽な繰り返しの中で、子供達は何度も何度もあきらめずに学び続け、成長していくのです。この授業は難しいです。おすすめしません。
『学び合い』なら「一人も見捨てない」でしょうか。その信念を授業の中で具現化していかないと、最初に動いてくれていた2割の子供達が離れて行きます。「先生は口だけじゃん。」って。そうしないためには、「信念」を持って「在り方」を示して行く。わたしにはこれしか思い浮かびません。


「そういう話は、苦しくなる。」「お前の言うことは、暑苦しい。」
そういう批判は大歓迎です。どうぞ、反論して下さい。
「信念とか在り方を示すとかはいらない。○○が大切なのだ。」
というように。わたし自身も、もっと楽なものがあれば、大歓迎ですから。


ちなみに、「2割」という割合は分かりやすく説明するための一例であり、実際の数値は、集団によって多少は異なるでしょう。でも、その数値の違いは、学校や地域が変わっても、それほど大きな変化はなさそうです。
ここでも、反論が有るかもしれませんね、
「ここは地域性が良くないから…。」「このクラスにはちょっと問題のある子がいる。」「都会と田舎じゃ違う。」
だから、
「ウチのクラスでは、教師がどんなに頑張っても2割も動かない。」「このクラスでは、2割が動いても他の子は絶対に動かない。」
こんな反論が。


けれど、わたしは「臨界質量」という考え方を知ったことで、そうじゃないのだと納得できました。簡単に言うと、「教師が一人の心を動かせれば、臨界質量を迎え、集団が大きく変容する局面があるのだ」とわたしは理解しました。問題は集団の構成員にあるのではありません。結局は教師なんです。教師がいかに信念を持って語り続け、プラス方向の臨界質量を超えられるかなのです。(ちなみに、教師次第で、マイナスの臨界質量を迎え、集団が転落していくこともあるそうです。)
臨界質量」というのは、わたしは、社会心理学者の山岸俊男さんの本で知ったのですが、元は京大教授の正高信男氏の「いじめを許す心理学」という本で書かれているそうです。興味の有る方はご一読下さい。


ということで、わたしは夢を示し、実現しろ!と求め続けます。暑苦しい教師です。