子供達が移動する時に、こんな声掛けをしている場面を見ました。
「さあ、みんな、これから○○に移動するから、考えて行動してごらん」
(本当にこのまま、これだけの言葉でした。)
その人は、移動中の子供に何度も
「考えて行動してごらん」
「考えているかな?」
「考えて行動するんだよ」
と語っていました。おしゃべりをしている子がいても、注意しません。何度も語りかけるのです。
「考えて行動してごらん。考えてね」
教師があれこれと指示を出すのではなく、子供達に考えさせる。
一見すると、非常に『学び合い』的に見えないこともありませんが、わたしは、これは絶対に『学び合い』ではないと感じます。その証拠に、その人は、集団を全くもって動かせていませんでした。その人がもしも教師として学級担任をしたら、その学級は大変なことになるでしょうね。
その声掛けをしていた人は『学び合い』のことは知らないであろう人なので、当然なんですけれど。『学び合い』で集団を動かさない人がいるのは当然だし、そんな事では腹を立てることはないのですが、でも、その人が「あの子供達は、全然、自分で考えられない」と言っているのを聞いた時には腹が立ちました。
また、時々耳にしたり、目にしたりする『学び合い』への批判が、こういう「一見すると『学び合い』に近そうなんだけれど、実際は全く異なるもの」に端を発するような気がして、腹立たしく感じる事があります。
「子供に任せる」とか「教師が教えない」というのは、方法の一つに過ぎません。
重要なのは、そこではないのになあ。と悲しくなります。
まあ、理解できる人や理解しようとする人が少数派なのは百も承知です。