『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

役割分担

先日公開した特別活動の授業案の中で、わたしは「全員で役割を分担する」と書きました。
事後研究会の中で、
「特別活動で、全員が役割を分担するなんていうのは当たり前だ。」
という指摘を受けたので、
「そうですね。」
と答えておきましたが、わたしは非常にびっくりしました。なぜなら、全員で役割を分担するというのは非常に難しいとわたしは感じているからです。今回の授業も、わたしの持てる力をフルに使ってますからね。
けれど、すぐに反省しました。分からない人には分からないんですよね、そんなこと。
わたしは自分自身が極普通の人間であると自覚しているので、他の人も同じ感覚だと勘違いしてしまうのです。
けれど、ほとんどの教師は、普段は自分が万能の神懸かり的な支配者かのように振る舞っているので(実際にはどうなのかは、普通の人間であるわたしには判断できませんけれど)、「全員に役割を分担する」なんて当たり前にできると感じているんでしょう。
そんな素晴らしい方々に普通な私が説明しても理解してもらえないと判断し、そこでは黙っていました。

これが、わたしが自分を「変態ではなく、普通です。」と評している理由でもあります。
普通以下の馬鹿教師かも、とも思います。


さてさて。
この「役割分担」については、そこでは黙っていましたが、でも、最近ずっと考えていたことではあるので、ここに記しておきたいと思います。
分かりやすくするために、5人グループで役割分担をする場合で説明します。
ア イ ウ エ オ の5人が、ある課題を達成するために、役割を分担するとします。その時に教師がどんな指導を行えば「全員で役割を分担する」ことができるのでしょうか。

まず、ア〜オの各自の「仕事をこなせる量」がそれぞれ
ア イ ウ エ オ
1 2 3 4 5 だとしましょう。
このグループに10の仕事量の課題を与えたとします。
そうすると、例えば、こんな風に仕事をする場合が多いでしょう。
ア イ ウ エ オ
0 0 3 3 4
仕事の良く出来る子が片付けてしまい、全く何もしない子が出てくるのです。この場合、成長が見込めるのはウだけです。こういうタイプの子は「それほど器用ではないけれど真面目な女の子」が多いですね。あなたのクラスにも居ませんか、そういうタイプの女の子?ほとんどの教師はこの状態で満足しています。だって、誰からも文句が出ませんからね、この状態なら。アやイの子も楽でいいし、エやオの子もそれほど大変じゃないし。で、真面目なウだけが汗をかくのですが、真面目な子なので文句はいいません。
けれど、この状態には問題があります。それは、仕事のクオリティがそれほど高くならないのです。キーパーソンがウの子ですからね。普段なら教師もそれでいいのですが、研究授業や学習発表会のような人に見られる機会だと、もっと質を上げたくなるのが人情。で、そうなると、エやオにもっと頑張って欲しくなるようで、こんな風に教師が役割を分担することもしばしば。
ア イ ウ エ オ     ア イ ウ エ オ
0 0 1 4 5 または、0.3 0.3 0.4 4 5
ウの子の役割を減らし、エやオの子の役割を増やすのです。
これは簡単にクオリティが上がります。だって、出来る子しかやらないんですから。
まあ実際には、外部に見せるとなるとさすがにアイウの子の役割を0には出来ないので、ちょっとは与えるのですが、でも、限りなくゼロに近い場合を何度も見ました。
これは子供達から文句が出ます。真面目なウからは「もっとやりたかった」という不満。エオからは「なんで私たちばっかり!」という不満。その不満は児童相互に向かう場合もありますし、教師に向かう場合もあります。表立っては言わなくてもね。


心ある教師は、こういう状況を良しとはしません。なので、例えば、こんな風に分担するでしょう。
ア イ ウ エ オ
1 1 2 3 3
でも、これだと教師が「出来る子と出来ない子」を選別していることになります。いじめの素です。


また、子供の主体性を大切にするために、子供達に決めさせることも考えられます。でも、子供達に分担させるとこんな風になりがち。
ア イ ウ エ オ
2 2 2 2 2
これは平等なようで平等ではありません。アの子だけがいっぱいいっぱいになり、他の子は楽ちん。平等だから手伝わない。子供達に決めさせたことに教師は口出ししにくい。口出しするにしても難しい。なんて言いますか?
「アにこんなにやらせるんじゃない!」
って言うんでしょうか。「みんな平等」なのに?
助け合い型の学び合いなら、「見捨てるんじゃ無い!」と教師が求めて、こうなるかもしれませんね。
ア イ ウ エ オ
1 2 2 2 3
一応は丸く収まります。見た目は何となく楽しそう。
でも、これってやっぱりクオリティが上がらないんです。『学び合い』で感じた事はありませんか。「あれ?一斉指導よりもマシなはずなのに、一斉指導のクラスよりもクオリティが低いぞ???」って。エやオの子は自分のグループ・クラスのクオリティの低さにがっかりし、「先生、『学び合い』なんて止めてください。先生が楽をしたいだけでしょう!!」と反発することもあるかもしれませんね。だって、これだったら、上記の「00145」のクラスに負けますから。


全員で役割を分担する。
これって、簡単なようで本当に難しいです。偉そうに書いていますが、これ、みんなわたしの失敗談です。
本当に難しくて、試行錯誤してきました。だからこそ、「そんなの当たり前」と言えるスーパーな人の気持ちが分かりません(←もちろん、嫌みです(笑)。)


それがやっと最近、分かってきました。どうすれば全員で役割を分担できるのか。
それは、「与える課題をグーンと増やす」のです。このグループがこなせる仕事量は、1+2+3+4+5=15です。それなのに10の課題しかないから難しいのです。もっとレベルの高い課題を与える必要があります。しかも、15でも足りません。15の子供達には20の課題を与えるのです。そして、任せるのです。任せられた子供達がとる行動は、わたしが見た限りでは次の5つでした。

ア イ ウ エ オ
2 3 4 5 6
これは、「全員が少しずつ限界を超えてめちゃくちゃ一生懸命にやる」というパターン。全員が真剣ですから、仕事量の違いによる不満なんてほとんど出ません。真剣な時って、他の真剣な友達を仲間だと感じられるんでしょうね。


ア イ ウ エ オ+カ
1 2 3 4 5 5
これは、自分たちでは何とも出来ない時には、他の友達を頼る場合もあります。もちろん、オッケーですよね。


ア イ ウ エ オ
1 2 5 7 5
このパターンも意外と多いのですが、わたしが「セカンドランナー」と呼んでいるウやエの子供達が伸びていくこともあります。そして、今までトップランナーだったアを追い抜く結果を叩き出すのです。こうなると、次の機会にはオは抜き返そうとします。また、触発されてアやイの子も頑張れます。


ア イ ウ エ オ
1 2 3 4 5
こういう時もあります。全員が頑張ったけれど、合計が20に届かず、課題を達成できない。そういう時も。でも、10を求めていたら、絶対にこれ以下ですから。


最後はこれ。
ア イ ウ エ オ
6 6 6 6 6
大げさに言うと、こんな感じ。教師は20の課題を出したら、子供達が30の結果を出す。求めた以上の結果を出す。しかも、個々の働きが教師には理解不能なレベル。どうしてこの子がこんなに出来たの??ってなるレベル。教師にも理解不能なんですから、教師が介入すればするほど、こういう結果からは遠ざかります。これこそが本物の『学び合い』の魅力です。


そして、これを可能にするには、次の力が不可欠だと考えています。
1 子供達を本気で信じる力。これが無いと、子供達に20を求められません。
2 子供達に本気で語る力。古田さんの言葉を借りるなら、「話す」ではなく「語る」。「放つ」ではなく「形づくる」。この課題を達成することにどんな意味があるのか、どれほど価値があることなのかを子供達に伝えなくてはいけません。
3 場を設定する力。子供達が課題を達成するために必要な物はたくさんあります。もちろん、子供達が用意出来るものもありますが、お金や時間など、教師が用意したり設定したりする必要がある物もあります。


教師がすべきことは、子供達を信じて、課題を設定し、語ること。そして、そのための場を設定する事。
言わば、『学び合い』のセオリーそのまま。でも、簡単には出来ないですね。まだまだ失敗続きです。


以上、長々と書いてしまいました。
こういう時、本当に思うんですが、最後まで読んでくださった方は居るんでしょうか。もし、いらっしゃったらありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
加えて。こういうわたしの理論にもなっていないような個人的な見立てや体験を、しっかりと調査・研究し、形にするにはどうすれば良いんでしょうか。そういう「仕事」をしたいんですよねえ。

あと。補足しておきますが。これはあくまでも、単純化した説明ですからね。実際には、「この子がこなせる仕事量は1だ。この子は2だ。」なんて教師が把握できませんから。把握できると思っているから、適切な分担を教師が出来る、という勘違いが生まれるのですし。